墓の中から

クソリプガイジの墓場

2020.06.26

私は2018年まで完全な自殺志願者で、希死念慮の嵐に脳みそを乗っ取られていた。

公務員になるように父に育てられた。

父の本心は知らないが、教育費にはガンガンお金をかけてくれるのに、それ以外にはまるで無関心だったように感じる。

 

それについて全く恨み言はなかったし、自分は恵まれているつもりだった。

しかし、自分が何が好きで、何が嫌いで、何が得意・不得意なのか。自分を全く大事にせず、周囲の価値観に合わせて自分を殺してきた。自殺もしたくなるだろうなと今になって思う。

 

父にすすめられるがまま中学受験をし、満員電車に1時間揺られながら通った。中高一貫の学校だったが、まったく馴染めずに毎日死にたい思いをしながら通学していた。

 

 

満員電車は好きだった。つり革までたどりつければ、イヤホンで好きな音楽を聞いて、読書をできるので。

学校の休み時間は嫌いだった。友達とのおしゃべりが苦痛で。

学校の授業中は好きだった。友達とおしゃべりをしなくてもいいから。

学校の終わりのスピーチや発表の時間は嫌いだった。緊張で声が震えて、文字が読めなくなっても、先生も誰も助けてくれず、自分だけが傷ついて終了するから。この記憶は就活の面接までひきずることになる。

 

 

父が中学受験をさせた中学・高校で、毎日「死にたい」と思いながら通学していたが、それを父も母も知らなかった。

「助けて」が言えない子供だったし、自分の意見を主張することができなかった。

中学校があまりにも嫌で、「高校受験をしたい」と親に言ったこともあったが、否定されてすぐにあきらめてしまった。

 

 

しかし、薄々気づいてはいた。

馴染めない学校を脱出しても、どこにも馴染めないと。

どこに行っても、人間の集団とうまくやっていけないことを証明してしまうような気がしたので、高校受験をすぐにあきらめたのかもしれない。

 

その予感は的中し、高校でも、大学でも同じだった。

友達を無理して作ったが、友達といるのは苦痛だった。

友達が意地悪だったわけではないが、人と時間を過ごすのが苦痛だったのだ。

 

鴨川の河川敷まで自転車を走らせて、そこで毎日ひとりでご飯を食べた。

鴨川はいい。どんな人間でも受け入れてくれるから。

通っていたのが京都の大学で本当に良かったと思う。

 

 

現実世界では心許せる友達は1人もいなかったが、インターネットの世界は私に優しかった。今でもインターネットを使って仕事をしている。

人間関係ではまったくいい思い出がない人生だが、好きな小説・漫画・映画・音楽はずっと私のつらい人生に寄り添ってくれた気がする。思い出して懐かしくなる思い出があるのは、それらのおかげだ。

 

 

薬で脳を麻痺させながらなんとか大学を卒業し、父の希望の公務員になって半年で、薬物依存が加速し、2階から飛び降りて消えないアザを作った。

私は中学・高校で発表恐怖をこじらせ、社交不安障害になっていた。

社交性を保ったり緊張を緩和させるために、常時ベンゾジアセピン系の薬を飲みまくっていた。

酒でいうと連続飲酒状態だった。

完全に薬物依存になっていた。

2年かけて公務員になったが、半年でやめ、次の行き先は精神病棟と救急病棟だった。

 

私は今まで、公務員が絶対で、その他の仕事に就く人はかわいそうだと思っていた。

その公務員をやめることになった。

この先の人生、生活保護か自殺だ。

そう思った。

 

公務員をやめ、精神病院と救急病院のツアーを終えた私は安楽死をしようと思っていた。

もちろん日本に安楽死制度はないし、制度のある国でも精神障害者安楽死は適用されない。

 

でも、安楽に死ぬのにお金はかかって当然だと強く感じた。

簡単に楽に死ぬためには、お金が必要なのだ。

地獄の沙汰も金次第なのだから、絶対にお金を稼がなければならないのだ。

強迫観念のようにそう思った。

 

でも、1日寝たきりの精神障害者にできる仕事などない。

せいぜい、不用品を処分して小遣いを得るくらいだ。

 

そんな時に見つけたのが、「xxx」だった。

当時フォローしていた反出生主義で有名なアカウントが、「xxx」とつぶやいていたのだ。

女にしかできない仕事だったし、楽なものではなかった。しかし、自宅にいながらお金を稼ぐことができる。

それから私は、「どうせ死ぬし」と思って、自分の性的価値を金に換金することを始めた。

死ぬためのお金を得るために。滑稽なアイデアだが、真剣だった。

 

◎体も心も不安定でたよりないものだ

 

私が欲しいのは精神の安定、肉体の健康さだ。でもそれは一瞬手に入れたと思っても、すぐに失われる不安定なものでしかない。まだ20代だが、いつも体がだるいししんどい。外出したらすぐに疲れる。これは一時的なものではなく、死ぬまで続いていくのだろうとうっすら気づいている。

 

しんどい、だるい→ちょっと休む→だるさを誤魔化して金稼ぎや生活をやる→しんどい、だるい

 

人生この繰り返しで本当にしんどい。早く死にたいので、暇つぶしをたくさんやる。時間がはやく過ぎればラッキーだった。

このだるさ、しんどさを解消するために精神薬に依存もした。今ではお金を稼ぐことに依存している気がする。

 

 

◎お金

 

お金を貯金し始めたのは、老後のためではなく安楽死のためだった。なぜお金に執着し、自分の尊厳を捨てるようなやり方で必死でお金をかき集めているのかというと、安楽死するにはXXX万円要だと何かの記事で読んだからだ。

 

つい最近、6月下旬の話だ。貯金残高がその安楽死に必要な額に達した。あとは癌か難病にかかれば海外で安楽死できる可能性が上がる。英語もしゃべれないといけないから、英会話もなんとなく頑張っていた。

 

でも、父から浄土真宗の話を聞くにつけ、楽に死んでもその先に転生しなければならないことがわかるし、「楽に死ぬ」がゴールではないんだな、とうっすら思い始めている。貯金があっても人生がしんどいことに変わりはないし、ヨガや筋トレやサウナで一瞬体が楽になっても、すぐにその楽さは失われる。

 

安楽死貯金も貯まり、収入源では尊厳を殺され続け、同棲している彼氏や精神障害者ニートとも関係がこじれたので、いったん頑張り続けることをやめたい。しんどい仕事も、必要ない人間関係も捨てたい。何かを捨てなければ、新しいものは入ってこないので。

 

とはいえ、数日休んだら周期の関係か体調も気持ちもマシになってきた。人の気持ち、移り変わりが早すぎる。まじで信用ならん。心に心許すな、とはこれだな。

しんどい時は宗教に助けを求めるが、しんどくない時は目先の金稼ぎをやめられないと思う。

 

最初の動機は安楽死だったが、今ではただのワーカホリックだ。お金の売り上げメールが届くと、脳汁がドバドバ出て気持ち良さを感じる。

また、公務員をやめて労働できなかった時期が1年以上あったので、「またいつ働けなくなるかわからないから、貯蓄しておかねば」との気持ちが強い。

 

 

◎依存

 

4月頃から、お金を払ってお姉さんに話を聞いてもらうサービスを受けている。

これも薬と同じで痛みを一時的にまぎらわせるようなものでしかない。話した直後は楽になるが、「つらかったね」と共感してもらうことは、毒にもなりうるな~と感じている。

 

なんでも肯定してくれる夢のような世界から、冷たい現実に戻ってきた時のギャップに心が耐えられない。この冷たい現実世界こそと向き合うべきなのだが、それでもしんどい時はついお金を払ってしまうから、自分は何かに依存してしまうんだろうな。

 

ポジティブなお姉さんにしんどさを話すよりも、自分のしんどさは紙にぶちまけてしまった方がよほどスッキリする。無料だし。

 

◎女であることの罪

 

女性は、男性よりも業が深く罪深いから、現世で罰を受けやすい体のつくりになっているのか?

女側の自分からすると、男性の方がよっぽど攻撃的で加害性が高く、罪をつくりやすい生き物に感じてしまう。

仕事のせいもあるだろうが、完全に男性嫌悪をこじらせている。そういう仕事で金を稼いでいる自分の業なんだろうな。

 

男性の性欲を金に換金する前から、違和感や嫌悪感はすでに覚えていた。こちら側が男性を人間として見ていても、向こうは「生殖可能なメス」くらいにしか見ていないことが多く、本当に気持ち悪く無力感すら覚えた。普通の仕事をしていても、「女」であり「メス」であり、男ならされない容姿を評価される。

 

市役所時代の話だ。同じ部署の仕事ができて人当たりが良く、上品で美人な女性の先輩に年配の男性たち群がっているのもしんどかった。

 

「気難しい〇〇さんも、彼女相手だとご機嫌だから」

 

なぜ公務員の仕事に加えて、キャバ嬢のような役割を求められるのか。なぜ彼女はそれに気前よく応じているのか。なぜそれができない自分が批判的に語られるのか。

 

今でも覚えている。飲み会で現れた市長は私の名前すら覚えず、「のんびりしているから、ノンちゃんね」と言った。翌日も「ノンちゃんだ」と呼ばれた。市長なので媚売りが必要だと思い、その場では喜んであげたが、私は瞬間的に「こいつ私のことをキャバ嬢かホステスと勘違いしてるんだろうな、気持ち悪」と感じた。「市長はもうろくした爺さんだった」と家族に話したのも覚えている。その数カ月後に市長は病気で死んでしまったので、「ノンちゃんとかふざけたあだ名をつけられてニコニコしなけりゃよかった。媚を売っても意味なかったな」と思った。

 

上司は私と他の女の子の容姿差別をした。見た目に言及してくる男は本当に多い。誰が美人、誰がかわいい、自分はブヨブヨの醜い腹で禿げ頭なのに、さもその権利があるといわんばかりに女の容姿を批評する。

 

わかりやすいセクハラならまだ周囲の同情を引けたのだろうが、自分の感受性やしょうもない記憶力が良すぎるばかりに、こういう苦しい記憶もつぶさに思い出せてしまう。

 

仕事としてのセックスワークなら割り切ってやればいいが、市役所で性のにおいを隠して働いている時も「女」として見られて本当に気持ち悪かった。普通の仕事でも気軽にセクハラされるんだから、最初からセクハラをされること前提で収入をもらえるセックスワークの方がまだマシなのでは?とすら思う。自分が女であることで収入を得られた一方で、女であることの無力感や絶望感も大きい。

 

さっさと年をとりたい。図太いババアになりたい。年をとれば、この繊細な特性もマシになる可能性が高いらしい。性欲まみれの男の視界にも入らなくなるような透明な存在になりたい。母親が年齢差別を受けたと愚痴っていたが、気持ち悪い男から興味を持たれるよりも興味を持たれない方が1億倍マシだ。ある縁よりも、ない縁。ない方がマシなものの方が多い。

 

2020.04.05

 人生しんどすぎる定期。人生が楽しかった時期、筋トレを必死こいて1カ月くらいしていた2018年の12月だけだ。あの時は脳から気持ちいい物質が出ていたし、肉体が変わっていくのが視覚で見えたし、人にも優しくできたし、とてもよかった。

 

 すぐにその無敵モードは終了し、今では死んだ目で貯金通帳の残高を追う毎日だ。先の見えないニート生活よりは1億倍マシなのだが、「生きていてよかった」とは全く思えない。金が貯まってもぼんやりとした死にたさは消えず、「コロナは1週間くらいで死ねていいな、薬物依存症だと苦しくても死ねないもんな」なとど思いながらマスクをして惰性で生きながらえている。

 

 薬物依存で呼吸困難に陥った時が人生で一番苦しい時だった。コロナなら死亡チャンスがあるのだが、薬物依存に死亡チャンスは訪れない。私のような人生が苦しい人間にとって、死は救済なのだが、コロナ死亡チャンスでオーダーされた仕事をこなせなくなるのはまずい。

 

 2019年末から、私は完全に仕事人間になっていた。

 金はなければ不幸だが、ありすぎてもあまり幸せではない。そのことはわかっているのだが、なかば依存症のようにしんどくても仕事をやめられない。

 

 月始になれば、強迫的に商品を出品しまくる。運がいいことに飽きられずに売れ続けている。入れ替わりの激しいこの不安定な稼業で稼ぎ続けられているのは、この自分の真面目すぎる性格のせいだろう。

 

 売れればうれしいが、苦しくもある。本当は月10万円で、もっと自分の時間を大切にして暮らしたい。お金の豊かさは、人生の豊かさではない。お金がない苦しみに比べればちっぽけな苦しみかもしれないが、目先の数字を追い続けるのはまるで先の見えないマラソンを走り続けているみたいでしんどい。

 

 しかし、仕事をしている時だけは、自分のみじめな人生に向き合わなくて済む。売り上げのメールが届くたびに脳汁が出る。お金だけが自分を肯定してくれるのだ。なぜここまで金銭に執着するのか、その理由は自分なりに本を読んで理解している。

 

 結局は、人間関係がちゃんと築けていないから、何かに依存してしまうのだ。金の不安は、人間関係の不安なのである。これ薬やってた時と同じだな。薬からお金稼ぎに依存対象が変わっただけだ。

 

 資本社会ではそれもいいのかもしれないが、必要以上のお金を稼ごうとしている。月10万円で生活できるのに、金を稼いでいないと不安で、他にやることがない。

 

 金を稼いで、つかうわけではない。むしろ堅実すぎるくらいに貯金している。いつ働けなくなるのか。いつ稼げなくなるのか。その不安感と、売り上げ報告のエサのコンボで、体がしんどくても、おなかがすいても、自分を痛めつけながら目先の金を追うことをやめられない。

 

 私に母親のような愛情を求め、まるで幼児のような同居人と向き合うよりも、売り上げを維持することの方が自分にとっては遥かに重要なのだ。

 

 同居人は、4時間くらい自分のお気持ちを強く主張し続けていた。色んな不満や愚痴を声高に主張しているが、結局は「もっと自分を大切にしろ」という気持ちが根底に隠れているのは見えている。

 

 私にとっては金稼ぎが第一で、人間関係など優先順位の最下位だ。愛情第一の同居人に私は物足りない存在であり続けるだろう。

 

 同居人の怒りは、「もっと自分のことを大切にしてほしい」という悲痛な叫びなのである。かわいそうだと思った。私をにらみ続ける反抗的な目が、「さみしい」と訴えている。それに思わず同情して泣いてしまった。「自分を愛してほしい」と怒るほど、悲しいことがあるのだろうか?

 

 しかし、私の頭の隅にあったのは「このまま喧嘩が長引けば、仕事ができない」という一点であった。時間が経過すれば疲れて根負けするだろうと思っていたが、同居人の口調はヒートアップするばかりだ。

 

 私は疲れ切っていた。こいつのように体力がないし、3回くらいトイレに避難して居眠りをした。そこまでしても私が避難しなかったのは、仕事があるからである。仕事をキャンセルしたり、仕事がうまく回らなくなることが自分にとって最もストレスなことだった。

 

 今までのケンカで私が同居を解消しなかったのも、押し入れに仕事道具一式がみっちり詰まっているからであり、実家を出たおかげで稼ぎやすい環境が整ったからである。

 

 結局、私が1番愛しているのはお金なのだ。お金というまやかしの安心感だ。人間関係で安心感を得ている人間は、お金はあまり必要じゃないだろう。でも人間不信をこじらせまくった私にとっては、人間関係をどうにかするよりも、お金を稼ぐ方がとっても簡単で楽だ。お手軽に自己肯定ができるので簡単にワーカホリックになる。恐ろしい。

 

 私が避けなければいけないことは、仕事道具を同居人に発見され、ひっかき回されることだった。この道具をそろえるまでに時間も手間もかかった。皮肉なことに、自由でいるいために始めた稼業が、自分をみっともなく縛りつけている。

 

 4時間くらい経過した頃、同居人を憎みながら、口先で謝罪を繰り返した。「一緒に暮らしたい」と口先で言った。本心は、同居人のことを憎んでいたし、縁を切るつもりで、頭の中は家を出ることでいっぱいだった。

 

 愛情などというものを私は心の底から信用していない。愛情は、愛憎に変わるからだ。「大好き」「愛している」とのたまったその口で、相手を口汚く罵る。こいつは、私のことなど見ていない。自分のお気持ちを受け入れてくれるハリボテの人形が必要なだけだ。口先での謝罪をする自分も、口先での謝罪を信用して態度を180度変え、甘えた口調で「仲直りしたい」とのたまう同居人が憎い。

 

 かわいそうなヤツだ。こいつも、私も。お互いに手に入らないものを相手に求めているのだから。安心感など金で決して手に入らないとわかりながらも、目先の数字を追う快感に取りつかれている。それが苦しい。

 

 これはちょっとした依存症だ。誰かに金を与えてもらえばすぐにやめることができるかもしれないし、できないかもしれない。

 

 昔はこうではなかった。中学3年生の時に、小説を書いていた。「お金は関係ない。誰かに認められなくても、自分が書きたいものを書いていたい」と文章にしたのを今でも覚えている。それはお金の重さを知らず、扶養される身分だったからだろうか?

 

 そろそろ、この稼業の辞め時だろうか。人生の辞め時だろうか。いくらお金が貯まっても、人生がつらく苦しいのに変わりはない。それなのに、この部屋に入ってしまえば私は稼ぐこと以外考えられなくなる。

 

 収入が上がっても、転売ヤーをつかまえても、誰も肯定してくれない。肯定してくれるのは数字だけだ。そしてその数字が自分を縛りつけ、身重にさせる。それなのにやめられない。お金を稼ぐことは辛く苦しい作業だが、目の前にお金が落ちているとわかっているのに、無視することができない。

 

 しかし、自己肯定は進んだのか? なぜ、自分を幸せにするとわかっている筋トレを毎日できないのだろう。みんな幸せになりたくて何かをやっているはずだ。私も幸せになりたくて実家を出て、自力で金稼ぎを始めたのだが、行き着く先は同じ袋小路なのか。

ガイジの日記

断薬から3か月以上経過している。

自律神経が失調して吐き気や頭痛や目まいで死にたくなるが、1年前より明らかに苦しみの量が減っている。

 

ちょうど1年前の記事を見ていてすげえ気持ちがしんどくなった。過去に体験した自分のことでさえ読むのきついから、この記事を印刷して健常者の親に見せていたの、正気の沙汰ではない。

 

今でも体の不調で「死にてえなぁ!!!」と思うけど、前よりも「死にてえ」の圧量が減っている。

 

1年前までは「飛び降りした時に片足でもなくなってたら、国から金もらえて生活できたのかな」とか思ったりしたけど、救命救急に入院して、「他人に介護をされないで自分で生活できる」ことがすっげ~~~~~~~尊いことなんだって思い知ったよな。

 

 

メンヘラ長年やってて思うけど、「死にたいから死なせてください」っていうのはすっげ~~~~~贅沢な欲望なんだよ。みんなめっちゃつらいし、みんな安楽死してえんだよ。ワイも可能なら安楽死、すっげ~~~~~してえよ。でも他人に「死なせてくださいね!」って押しつけるのはすっげ~~~~~自分勝手なんだよ。でも安楽死、すっげ~~~~~してえなぁ??!! 

 

大金持ってない限り安楽死なんて現実的に無理なんだよなぁ、だから苦しみを減らすクッソ地道な方法をちまちまやるしかねえんだよな。

 

 

半月前にラインアカウントを消去したんだけど、日常からイライラが消え失せてすごいすっきりしている。

「ラインアカウント消去してよかった」と3回以上ツイッターで呟いている。

 

ラインやってると、健常者からどうでもいいメッセージがすげえ送られてきて「なんて返信しよう」って頭悩ませたりイライラしてる時間が無駄すぎた。

 

健常友達には申し訳ないけど、1日中ベッドで臥せってるガイジのワイからすると、「部活で悩んでて~」「バイトやめちゃって~」みてえなおまえらの些末な悩みなんて死ぬほどど~~~~でもいいんだよ、こっちは生きるか死ぬかなんだよ。

 

悩みに貴賤はないし、健常者といえども生老病死からは逃れられず苦しむのはわかっている。

「でもおまえら体も心も健全じゃん!なんとかなるっしょ~~~~!ガハハーハ・ハーハハ!!!」って感じ、愚痴はラインじゃなくて鍵垢のツイッターに書いとけ。

 

それに対して、メンヘラの相談には生死がかかってるからまじで切実。

完全にひとりよがりだけど、メンヘラの悩みに回答するやつを1週間くらい続けている。

悩み相談の回答は、自分に向けての言葉だ。

顔も名前も知らん匿名のメンヘラは、もうひとりの自分である。

 

正直、相手は回答の内容なんてそんなに見てねえだろうな。

反応がある、っていうことがまじで大事だと思う。

 

「しんどい、死にたい」って言って「しんどいんだね、死にたいんだね」って返ってくることの尊さヤベエよ。

 

他人に殺意の圧が高いワイだけど、メンタル抱えている相手だと「こんなに優しい言葉かけれるんだ???」って自分に驚く。

 

ラインの垢消しで友達とのつながりを切るくらいコミュ障人嫌いガイジだが、文字でやり取りするくらいのコミュニケーションがちょうどいい。

当分はこういう生活を続けるだろう。

来年が今年よりもやばい年にならない保障はない。

今年はろくな年じゃなかった。自分の闇に殺されそうになった1年だった。もちろん去年だって、自宅のベランダから飛び降りたり、失職したり、初めての閉鎖病棟のツアーに行っておびえたりしていたが、今年は去年の比じゃなかった。

 

まず、病院に2回入院した。精神閉鎖病棟と救急病棟に入った。本当に、こんなことは人生で予定していなかったし、予告されていても嫌だ。

 

7月に閉鎖病棟を退院したものの、身体のしんどさからまた9月くらいから薬を飲んでいた。9月上旬まではタワーマンションから飛び降りたすぎて夢にまで見ていたが、薬を勝手に飲み始めてからは自殺願望が消えていった。

 

しかも、薬を飲むと体がふわふわしていい気持ちになるのでやめられなかった。1日中薬が入っていないとダメだった。

 

それで、10月下旬からは薬をキメるスピードが上がっていった。1日1シート飲んでいた。規定量の10倍以上飲んでいた。ODはしていない。普通に過ごしていても多量の薬が必要になってくるのだった。

 

1つだけ! と思って手を出すと、後は雪だるま式に量が増えていく。最初の1つに手を出した時点で、後は入院するまでやめられない。

 

しかも、薬を飲んでいても人に過剰にイライラしたり、薬のおかげで人と饒舌に話せても、偽りの自分が好かれていることに虚無感を抱いたりして大変不安定な精神状態だった。やめていた時の方が気持ちは安定していたのに、と思っても自分の意思でやめることは不可能だった。

 

1日1シート飲む毎日が2週間くらい続いたとき、薬の量が足りなくなっていることに気づいた。手元に薬がなくなったとき、身体におかしな症状がでてきた。

 

ジストニアとジスキネジアだった。去年、エビリファイの服用によりこの症状が出てきて、あまりのつらさに飛び降りて意識を飛ばそうとしたことがある。今回も完全に薬が原因で出てきた症状だった。

 

まず、自分の意思ではなく目が勝手に上へ上へと向かう。じっとしていると目が上になり、首も上に上がっていく。止めようとしても止められない不随意運動だ。目の次は体のねじれだった。ベッドに横になっていても、身体が勝手にねじれて止まらない。

 

ジストニアとは

● ジストニアは、脳(主に大脳基底核)や神経系統の何らかの障害により、持続的または不随意的に筋肉が収縮したり固くなったりする難治性の疾患です。

 

 ● ジストニアには、具体的に次のような症状があります。
・首が上や下、左や右に傾く 
・首がねじれる 
・足がねじれる 
・身体が歪む
・まぶたが勝手に閉じようとする 
・口が開いたままで閉じられない、閉じたままで開けられない
・唇が突き出る、あごが左右や前にずれる
・舌がくねくね動く、口の外に出る
・声が出ない、出しにくい

 

ジストニアの症状が2日くらい続いて、いよいよ舌の動きもおかしくなってきた。去年は2~3日で治ったが、いよいよ症状が悪化してきたように思った。

 

じっとしていても、身体がゆっくりとねじれていく。そのうち体が回転するようになり、床をゴロゴロ転がっていた。これからどんどん症状がひどくなっていく予感に襲われた。親に救急車を呼んでもらい、救急病棟に運ばれた。

 

病院の固い台の上で、症状はもっと進行していった。体が左に回転しようとするので、看護師に身体をおさえられた。しかし回転しないと苦しくなった。回転し、戻されるのを繰り返した。

 

体が回転しながら、目はカッと開いて閉じようとしても閉じず、顔の筋肉はしかめっ面をつくったまま、自分の意思と関係なく体全体がおかしく動いた。その時の様子は、一般人が見ると身体障害者知的障害者のようだったと思う。

 

何もない空を目をかっぴらいて見つめているので、「幽霊でも見えるの?」と看護師に聞かれた。「ここどこだかわかりますかぁ?!」と聞かれるが、舌が動かず答えられなかった。意識は大変はっきりしており、頭も正常に動くものの、身体が不自由で意思疎通が図れないことは大変おそろしかった。

 

その後ベッドに移され、身体が上下左右に勝手に動いてしまうので、体幹でベッドに拘束された。症状はこの時が最もひどかった。顔の筋肉が不随意に動き、よだれが流れる。体は放っておいても、ゆっくり上下左右に回転する。

 

身体がねじれて、呼吸がうまくできなかったのが最も苦しかった。身体がねじれて器官か肺を圧迫していたのか、悲鳴のような呼吸を繰り返さなければならなかった。去年にはなかった症状だった。

 

看護師が親を連れてくる時に「刺激が強いかもしれない」と言っている声が聞こえてきた。人は死ぬ間際でも聴覚だけは残っているというが、その通りだった。人の声が刺激となって、身体のねじれがひどくなるように思えた。

 

ただ去年はこの症状に耐えきれず、死んだ方がマシだと思ったが、今回はまったく気持ちの方は安定していたのが大変救いだった。もちろん身体はキツかったが、症状の原因を知っているからか、精神的には取り乱さずにすんだ。

 

私は症状の原因は自分で購入した薬だろうと見当をつけていたが、医者は「脳神経がやられているかもしれない」と暗に示してきた。薬を投入すればスッと症状がおさまるので、完全に薬による身体依存だった。

 

その後も薬がなくなると、身体が不随意に動き、ベッドの柵を越えて転げ落ち床をのたまった。「ケガをしていないか?」と心配されたが、それよりも薬を投与してほしかった。車いすに座らされ、腰にベルトをつけられて看護師の詰め所に連れていかれた。車いすに座っていても、前かがみになり、立ち上がろうとする。それを業務中の看護師に止められる。前かがみになる、止められる、を何百回か繰り返した。薬が投与されるまで続いた。それが呼吸困難の次につらかった。

 

その後、1週間後に退院した。そして退院してからやはり薬が飲みたい。依存なんだなあと思う。他人に言われても、あれだけひどい経験をしても、薬を夢にまでみる。

 

しかし、去年と比べて気持ちのありようがまったく違う。薬がないと人と関わりたくので、他人にイライラすることも少ない。くそったれ経験を繰り返して、1ミリでも学んで今の人生がマシになっている気がする。

 

死にたいと思わなくなったのが、大変楽になったことだ。部屋にあるむき出しの白いロープを見ても懐かしい気持ちさえする。

 

やってよかったと思うのは、日記をつけることだった。去年は、自分の本当の気持ちというものを抑え込みまくっていて、自分が何をしたくて何をしたくないのかがまったくわからなかった。とにかく苦しいのが嫌だから薬を飲む、というスタンスだった。

 

結局、本に書いてあることは他人の経験でしかない。薬を何度もやって苦しんだり、数十万円(親が)払って入院した経験がないと、おそらく薬はやめられない。

 

人にイライラせず、1日中自分の部屋でネットサーフィンしている生活は結構悪くない。去年までは収入が0になったことに焦って、風俗で働こうとしたり、結局薬を飲んで好きでもない男と付き合って嫌な思いをしたり、嫌なことばかりだったが、今のわりと安定した生活のための通過儀礼だったのかもしれない。

 

今でも薬を飲んでいた頃にやり取りしていた友達から連絡が来て、楽しくおしゃべりするために薬を飲みたいとも思うが、薬なしで話せる友達だけでいいと思うようになった。二度と救急病棟に入院したくないし、気持ちが安定している生活が続けば、おそらく薬には走らないと思う。

 

 

どうぞどこへ連れて行ってくれても構わねえ

 去年の今頃はまだ役所づとめの薬ガンギメガイジだったんだけど、あれから1年経過して、だいぶ自分の内面が変化した気がする。しかも、自分で変えよう! と力んで努力したんじゃなくて、時間の経過と共に徐々に癒されていっている気がする。

 

 焦げ付くような希死念慮も薄まってきている。じゃあ、何か努力したんですか? と自問自答しても、運動を毎日ちょっとやるようになったのと、ネットで仲良くしてくれる人が増えたくらいだった。あと、性格のきつい主治医の診察に行くのを拒否した。なので今はほぼ薬なしで生活している。

 

 家のWi-fiが壊れてしまい、寝転んでスマホをいじることもできなくなったので、パソコンでネットをするために起きている時間も増えてきた。それでも外出するとだるくなるし、眠くなるし、すぐに家に帰りたくなる。社会復帰なんかはまったく想像できない。

 

 おそらく社会復帰も時期が来るのを焦らず待たなければいけない。焦ってさびついた車輪を必死にこいでも無駄。

 

 とはいっても、薬なしじゃ人と話をしたいなんて思えないし、薬とはうまく付き合っていかなければいけない。自助努力をして、しんどいところは薬に助けてもらう。そういうことが普通にできちゃう健常はいいな。

 

 私は自分で働いてお金を稼ぐっていう価値観がでかくて、ふつうに働けてたら幸せじゃねえか、と思うけど、働き出した中でまた新しい悩みも生まれるだろうし、やっぱりここからは動きたくありません。

 

 まあ死にたいしロープも買ったんだけど、殺したい人間も多いからまだ血気盛んに生きてると思う。言いたいことは言わなければ我慢ならねえ。