墓の中から

クソリプガイジの墓場

2020.06.26

私は2018年まで完全な自殺志願者で、希死念慮の嵐に脳みそを乗っ取られていた。

公務員になるように父に育てられた。

父の本心は知らないが、教育費にはガンガンお金をかけてくれるのに、それ以外にはまるで無関心だったように感じる。

 

それについて全く恨み言はなかったし、自分は恵まれているつもりだった。

しかし、自分が何が好きで、何が嫌いで、何が得意・不得意なのか。自分を全く大事にせず、周囲の価値観に合わせて自分を殺してきた。自殺もしたくなるだろうなと今になって思う。

 

父にすすめられるがまま中学受験をし、満員電車に1時間揺られながら通った。中高一貫の学校だったが、まったく馴染めずに毎日死にたい思いをしながら通学していた。

 

 

満員電車は好きだった。つり革までたどりつければ、イヤホンで好きな音楽を聞いて、読書をできるので。

学校の休み時間は嫌いだった。友達とのおしゃべりが苦痛で。

学校の授業中は好きだった。友達とおしゃべりをしなくてもいいから。

学校の終わりのスピーチや発表の時間は嫌いだった。緊張で声が震えて、文字が読めなくなっても、先生も誰も助けてくれず、自分だけが傷ついて終了するから。この記憶は就活の面接までひきずることになる。

 

 

父が中学受験をさせた中学・高校で、毎日「死にたい」と思いながら通学していたが、それを父も母も知らなかった。

「助けて」が言えない子供だったし、自分の意見を主張することができなかった。

中学校があまりにも嫌で、「高校受験をしたい」と親に言ったこともあったが、否定されてすぐにあきらめてしまった。

 

 

しかし、薄々気づいてはいた。

馴染めない学校を脱出しても、どこにも馴染めないと。

どこに行っても、人間の集団とうまくやっていけないことを証明してしまうような気がしたので、高校受験をすぐにあきらめたのかもしれない。

 

その予感は的中し、高校でも、大学でも同じだった。

友達を無理して作ったが、友達といるのは苦痛だった。

友達が意地悪だったわけではないが、人と時間を過ごすのが苦痛だったのだ。

 

鴨川の河川敷まで自転車を走らせて、そこで毎日ひとりでご飯を食べた。

鴨川はいい。どんな人間でも受け入れてくれるから。

通っていたのが京都の大学で本当に良かったと思う。

 

 

現実世界では心許せる友達は1人もいなかったが、インターネットの世界は私に優しかった。今でもインターネットを使って仕事をしている。

人間関係ではまったくいい思い出がない人生だが、好きな小説・漫画・映画・音楽はずっと私のつらい人生に寄り添ってくれた気がする。思い出して懐かしくなる思い出があるのは、それらのおかげだ。

 

 

薬で脳を麻痺させながらなんとか大学を卒業し、父の希望の公務員になって半年で、薬物依存が加速し、2階から飛び降りて消えないアザを作った。

私は中学・高校で発表恐怖をこじらせ、社交不安障害になっていた。

社交性を保ったり緊張を緩和させるために、常時ベンゾジアセピン系の薬を飲みまくっていた。

酒でいうと連続飲酒状態だった。

完全に薬物依存になっていた。

2年かけて公務員になったが、半年でやめ、次の行き先は精神病棟と救急病棟だった。

 

私は今まで、公務員が絶対で、その他の仕事に就く人はかわいそうだと思っていた。

その公務員をやめることになった。

この先の人生、生活保護か自殺だ。

そう思った。

 

公務員をやめ、精神病院と救急病院のツアーを終えた私は安楽死をしようと思っていた。

もちろん日本に安楽死制度はないし、制度のある国でも精神障害者安楽死は適用されない。

 

でも、安楽に死ぬのにお金はかかって当然だと強く感じた。

簡単に楽に死ぬためには、お金が必要なのだ。

地獄の沙汰も金次第なのだから、絶対にお金を稼がなければならないのだ。

強迫観念のようにそう思った。

 

でも、1日寝たきりの精神障害者にできる仕事などない。

せいぜい、不用品を処分して小遣いを得るくらいだ。

 

そんな時に見つけたのが、「xxx」だった。

当時フォローしていた反出生主義で有名なアカウントが、「xxx」とつぶやいていたのだ。

女にしかできない仕事だったし、楽なものではなかった。しかし、自宅にいながらお金を稼ぐことができる。

それから私は、「どうせ死ぬし」と思って、自分の性的価値を金に換金することを始めた。

死ぬためのお金を得るために。滑稽なアイデアだが、真剣だった。

 

◎体も心も不安定でたよりないものだ

 

私が欲しいのは精神の安定、肉体の健康さだ。でもそれは一瞬手に入れたと思っても、すぐに失われる不安定なものでしかない。まだ20代だが、いつも体がだるいししんどい。外出したらすぐに疲れる。これは一時的なものではなく、死ぬまで続いていくのだろうとうっすら気づいている。

 

しんどい、だるい→ちょっと休む→だるさを誤魔化して金稼ぎや生活をやる→しんどい、だるい

 

人生この繰り返しで本当にしんどい。早く死にたいので、暇つぶしをたくさんやる。時間がはやく過ぎればラッキーだった。

このだるさ、しんどさを解消するために精神薬に依存もした。今ではお金を稼ぐことに依存している気がする。

 

 

◎お金

 

お金を貯金し始めたのは、老後のためではなく安楽死のためだった。なぜお金に執着し、自分の尊厳を捨てるようなやり方で必死でお金をかき集めているのかというと、安楽死するにはXXX万円要だと何かの記事で読んだからだ。

 

つい最近、6月下旬の話だ。貯金残高がその安楽死に必要な額に達した。あとは癌か難病にかかれば海外で安楽死できる可能性が上がる。英語もしゃべれないといけないから、英会話もなんとなく頑張っていた。

 

でも、父から浄土真宗の話を聞くにつけ、楽に死んでもその先に転生しなければならないことがわかるし、「楽に死ぬ」がゴールではないんだな、とうっすら思い始めている。貯金があっても人生がしんどいことに変わりはないし、ヨガや筋トレやサウナで一瞬体が楽になっても、すぐにその楽さは失われる。

 

安楽死貯金も貯まり、収入源では尊厳を殺され続け、同棲している彼氏や精神障害者ニートとも関係がこじれたので、いったん頑張り続けることをやめたい。しんどい仕事も、必要ない人間関係も捨てたい。何かを捨てなければ、新しいものは入ってこないので。

 

とはいえ、数日休んだら周期の関係か体調も気持ちもマシになってきた。人の気持ち、移り変わりが早すぎる。まじで信用ならん。心に心許すな、とはこれだな。

しんどい時は宗教に助けを求めるが、しんどくない時は目先の金稼ぎをやめられないと思う。

 

最初の動機は安楽死だったが、今ではただのワーカホリックだ。お金の売り上げメールが届くと、脳汁がドバドバ出て気持ち良さを感じる。

また、公務員をやめて労働できなかった時期が1年以上あったので、「またいつ働けなくなるかわからないから、貯蓄しておかねば」との気持ちが強い。

 

 

◎依存

 

4月頃から、お金を払ってお姉さんに話を聞いてもらうサービスを受けている。

これも薬と同じで痛みを一時的にまぎらわせるようなものでしかない。話した直後は楽になるが、「つらかったね」と共感してもらうことは、毒にもなりうるな~と感じている。

 

なんでも肯定してくれる夢のような世界から、冷たい現実に戻ってきた時のギャップに心が耐えられない。この冷たい現実世界こそと向き合うべきなのだが、それでもしんどい時はついお金を払ってしまうから、自分は何かに依存してしまうんだろうな。

 

ポジティブなお姉さんにしんどさを話すよりも、自分のしんどさは紙にぶちまけてしまった方がよほどスッキリする。無料だし。

 

◎女であることの罪

 

女性は、男性よりも業が深く罪深いから、現世で罰を受けやすい体のつくりになっているのか?

女側の自分からすると、男性の方がよっぽど攻撃的で加害性が高く、罪をつくりやすい生き物に感じてしまう。

仕事のせいもあるだろうが、完全に男性嫌悪をこじらせている。そういう仕事で金を稼いでいる自分の業なんだろうな。

 

男性の性欲を金に換金する前から、違和感や嫌悪感はすでに覚えていた。こちら側が男性を人間として見ていても、向こうは「生殖可能なメス」くらいにしか見ていないことが多く、本当に気持ち悪く無力感すら覚えた。普通の仕事をしていても、「女」であり「メス」であり、男ならされない容姿を評価される。

 

市役所時代の話だ。同じ部署の仕事ができて人当たりが良く、上品で美人な女性の先輩に年配の男性たち群がっているのもしんどかった。

 

「気難しい〇〇さんも、彼女相手だとご機嫌だから」

 

なぜ公務員の仕事に加えて、キャバ嬢のような役割を求められるのか。なぜ彼女はそれに気前よく応じているのか。なぜそれができない自分が批判的に語られるのか。

 

今でも覚えている。飲み会で現れた市長は私の名前すら覚えず、「のんびりしているから、ノンちゃんね」と言った。翌日も「ノンちゃんだ」と呼ばれた。市長なので媚売りが必要だと思い、その場では喜んであげたが、私は瞬間的に「こいつ私のことをキャバ嬢かホステスと勘違いしてるんだろうな、気持ち悪」と感じた。「市長はもうろくした爺さんだった」と家族に話したのも覚えている。その数カ月後に市長は病気で死んでしまったので、「ノンちゃんとかふざけたあだ名をつけられてニコニコしなけりゃよかった。媚を売っても意味なかったな」と思った。

 

上司は私と他の女の子の容姿差別をした。見た目に言及してくる男は本当に多い。誰が美人、誰がかわいい、自分はブヨブヨの醜い腹で禿げ頭なのに、さもその権利があるといわんばかりに女の容姿を批評する。

 

わかりやすいセクハラならまだ周囲の同情を引けたのだろうが、自分の感受性やしょうもない記憶力が良すぎるばかりに、こういう苦しい記憶もつぶさに思い出せてしまう。

 

仕事としてのセックスワークなら割り切ってやればいいが、市役所で性のにおいを隠して働いている時も「女」として見られて本当に気持ち悪かった。普通の仕事でも気軽にセクハラされるんだから、最初からセクハラをされること前提で収入をもらえるセックスワークの方がまだマシなのでは?とすら思う。自分が女であることで収入を得られた一方で、女であることの無力感や絶望感も大きい。

 

さっさと年をとりたい。図太いババアになりたい。年をとれば、この繊細な特性もマシになる可能性が高いらしい。性欲まみれの男の視界にも入らなくなるような透明な存在になりたい。母親が年齢差別を受けたと愚痴っていたが、気持ち悪い男から興味を持たれるよりも興味を持たれない方が1億倍マシだ。ある縁よりも、ない縁。ない方がマシなものの方が多い。