墓の中から

クソリプガイジの墓場

来年が今年よりもやばい年にならない保障はない。

今年はろくな年じゃなかった。自分の闇に殺されそうになった1年だった。もちろん去年だって、自宅のベランダから飛び降りたり、失職したり、初めての閉鎖病棟のツアーに行っておびえたりしていたが、今年は去年の比じゃなかった。

 

まず、病院に2回入院した。精神閉鎖病棟と救急病棟に入った。本当に、こんなことは人生で予定していなかったし、予告されていても嫌だ。

 

7月に閉鎖病棟を退院したものの、身体のしんどさからまた9月くらいから薬を飲んでいた。9月上旬まではタワーマンションから飛び降りたすぎて夢にまで見ていたが、薬を勝手に飲み始めてからは自殺願望が消えていった。

 

しかも、薬を飲むと体がふわふわしていい気持ちになるのでやめられなかった。1日中薬が入っていないとダメだった。

 

それで、10月下旬からは薬をキメるスピードが上がっていった。1日1シート飲んでいた。規定量の10倍以上飲んでいた。ODはしていない。普通に過ごしていても多量の薬が必要になってくるのだった。

 

1つだけ! と思って手を出すと、後は雪だるま式に量が増えていく。最初の1つに手を出した時点で、後は入院するまでやめられない。

 

しかも、薬を飲んでいても人に過剰にイライラしたり、薬のおかげで人と饒舌に話せても、偽りの自分が好かれていることに虚無感を抱いたりして大変不安定な精神状態だった。やめていた時の方が気持ちは安定していたのに、と思っても自分の意思でやめることは不可能だった。

 

1日1シート飲む毎日が2週間くらい続いたとき、薬の量が足りなくなっていることに気づいた。手元に薬がなくなったとき、身体におかしな症状がでてきた。

 

ジストニアとジスキネジアだった。去年、エビリファイの服用によりこの症状が出てきて、あまりのつらさに飛び降りて意識を飛ばそうとしたことがある。今回も完全に薬が原因で出てきた症状だった。

 

まず、自分の意思ではなく目が勝手に上へ上へと向かう。じっとしていると目が上になり、首も上に上がっていく。止めようとしても止められない不随意運動だ。目の次は体のねじれだった。ベッドに横になっていても、身体が勝手にねじれて止まらない。

 

ジストニアとは

● ジストニアは、脳(主に大脳基底核)や神経系統の何らかの障害により、持続的または不随意的に筋肉が収縮したり固くなったりする難治性の疾患です。

 

 ● ジストニアには、具体的に次のような症状があります。
・首が上や下、左や右に傾く 
・首がねじれる 
・足がねじれる 
・身体が歪む
・まぶたが勝手に閉じようとする 
・口が開いたままで閉じられない、閉じたままで開けられない
・唇が突き出る、あごが左右や前にずれる
・舌がくねくね動く、口の外に出る
・声が出ない、出しにくい

 

ジストニアの症状が2日くらい続いて、いよいよ舌の動きもおかしくなってきた。去年は2~3日で治ったが、いよいよ症状が悪化してきたように思った。

 

じっとしていても、身体がゆっくりとねじれていく。そのうち体が回転するようになり、床をゴロゴロ転がっていた。これからどんどん症状がひどくなっていく予感に襲われた。親に救急車を呼んでもらい、救急病棟に運ばれた。

 

病院の固い台の上で、症状はもっと進行していった。体が左に回転しようとするので、看護師に身体をおさえられた。しかし回転しないと苦しくなった。回転し、戻されるのを繰り返した。

 

体が回転しながら、目はカッと開いて閉じようとしても閉じず、顔の筋肉はしかめっ面をつくったまま、自分の意思と関係なく体全体がおかしく動いた。その時の様子は、一般人が見ると身体障害者知的障害者のようだったと思う。

 

何もない空を目をかっぴらいて見つめているので、「幽霊でも見えるの?」と看護師に聞かれた。「ここどこだかわかりますかぁ?!」と聞かれるが、舌が動かず答えられなかった。意識は大変はっきりしており、頭も正常に動くものの、身体が不自由で意思疎通が図れないことは大変おそろしかった。

 

その後ベッドに移され、身体が上下左右に勝手に動いてしまうので、体幹でベッドに拘束された。症状はこの時が最もひどかった。顔の筋肉が不随意に動き、よだれが流れる。体は放っておいても、ゆっくり上下左右に回転する。

 

身体がねじれて、呼吸がうまくできなかったのが最も苦しかった。身体がねじれて器官か肺を圧迫していたのか、悲鳴のような呼吸を繰り返さなければならなかった。去年にはなかった症状だった。

 

看護師が親を連れてくる時に「刺激が強いかもしれない」と言っている声が聞こえてきた。人は死ぬ間際でも聴覚だけは残っているというが、その通りだった。人の声が刺激となって、身体のねじれがひどくなるように思えた。

 

ただ去年はこの症状に耐えきれず、死んだ方がマシだと思ったが、今回はまったく気持ちの方は安定していたのが大変救いだった。もちろん身体はキツかったが、症状の原因を知っているからか、精神的には取り乱さずにすんだ。

 

私は症状の原因は自分で購入した薬だろうと見当をつけていたが、医者は「脳神経がやられているかもしれない」と暗に示してきた。薬を投入すればスッと症状がおさまるので、完全に薬による身体依存だった。

 

その後も薬がなくなると、身体が不随意に動き、ベッドの柵を越えて転げ落ち床をのたまった。「ケガをしていないか?」と心配されたが、それよりも薬を投与してほしかった。車いすに座らされ、腰にベルトをつけられて看護師の詰め所に連れていかれた。車いすに座っていても、前かがみになり、立ち上がろうとする。それを業務中の看護師に止められる。前かがみになる、止められる、を何百回か繰り返した。薬が投与されるまで続いた。それが呼吸困難の次につらかった。

 

その後、1週間後に退院した。そして退院してからやはり薬が飲みたい。依存なんだなあと思う。他人に言われても、あれだけひどい経験をしても、薬を夢にまでみる。

 

しかし、去年と比べて気持ちのありようがまったく違う。薬がないと人と関わりたくので、他人にイライラすることも少ない。くそったれ経験を繰り返して、1ミリでも学んで今の人生がマシになっている気がする。

 

死にたいと思わなくなったのが、大変楽になったことだ。部屋にあるむき出しの白いロープを見ても懐かしい気持ちさえする。

 

やってよかったと思うのは、日記をつけることだった。去年は、自分の本当の気持ちというものを抑え込みまくっていて、自分が何をしたくて何をしたくないのかがまったくわからなかった。とにかく苦しいのが嫌だから薬を飲む、というスタンスだった。

 

結局、本に書いてあることは他人の経験でしかない。薬を何度もやって苦しんだり、数十万円(親が)払って入院した経験がないと、おそらく薬はやめられない。

 

人にイライラせず、1日中自分の部屋でネットサーフィンしている生活は結構悪くない。去年までは収入が0になったことに焦って、風俗で働こうとしたり、結局薬を飲んで好きでもない男と付き合って嫌な思いをしたり、嫌なことばかりだったが、今のわりと安定した生活のための通過儀礼だったのかもしれない。

 

今でも薬を飲んでいた頃にやり取りしていた友達から連絡が来て、楽しくおしゃべりするために薬を飲みたいとも思うが、薬なしで話せる友達だけでいいと思うようになった。二度と救急病棟に入院したくないし、気持ちが安定している生活が続けば、おそらく薬には走らないと思う。