墓の中から

クソリプガイジの墓場

薬むさぼりガイジの現在

全然更新してないのに1日の閲覧200で草生える。ヤフーで「自殺」でぐぐってきた人が多いみたい。仲間多すぎィ!

 

ブログを更新しない間、通院先の主治医にキレて1週間くらいイライラしどおしだったり、体力をつけるために家の中でエクササイズを始めたりしていた。

 

エクササイズをはじめて4日目くらいだが、明らかに体力がついてきて驚いた。外出の億劫さも軽減された。

 

医者に上から目線で「運動しろ。引きこもるな」と言われてもまったく続かない。私は家の中にいるのが好きだから、自分に合ったものを見つけられてよかった。一般論がすべて自分にあてはまると思い込んで、視野をせまくしないほうがいいですよ神。

 

今まで、「マジメだね~」「勉強家だね~」とか言われるのがうっとうしかったし、出身校をほめられても、学歴をほめられても、自分の能力は低いのにほめられるのがクソ嫌だった。「勉強はできるかもしれないけど~」と、人格否定のための前置きに使われ続けて胸糞だった。

 

過去にアルバイトやボランティアなどを嫌々やり、自分を殺して就職活動などをしてきたので、すべて過去を否定していたが、もし学歴がなければもっと卑屈になってしんどかっただろうし、バイトをしていなかったら社会のあり方を知らないままだった。

 

もちろん、生きるのは苦しくしんどい。可能なら安楽死・即死したい気持ちは一生変わらないと思う。だが、過去の自分の行動は意外と間違っていない。過去を少しだけ肯定できたし、できる努力はしようと思った。

 

また、世間の価値観に囚われすぎていた。結婚し、子供を生めば世間体がいいし、流されてそうしようとも思ったが、子供は産みたくないし、産みたいと思える相手と付き合うこともなかった。それが苦しかったが、自分の幸せは自分で気づいて認めてあげないと、どんどん自分を不幸にしていくだけだった。

 

もちろん年をとったら将来の不安から適当な男と結婚するかもしれないし、わからない。でも、収入が高いだけの男じゃなくて、しんどいときに支えてくれたり、逆に相手が困っていたら助けてあげたいと思えるような相手じゃないと、長続きしないとわかった。

 

しかも結婚をしても、夫が病気になったり事故で亡くなったり不倫したり会社が倒産したりクビになったりと、一寸先はどうなるかわからない。

 

 

すべて、自分で背負って生きていくのだ。

孤独とはさんざん付き合っている。

しんどさをかわすのにも慣れた。

他人にわかってもらおうとは思わないが、自己主張を続けなければ自分が納得しない。

 

今まで、人生に過度な期待をしすぎてつらかったのだ。

 

自力でどうにかできることは限られている。どうぞどこへでも連れていってくれ、という心境である。あがいてもしょうがない。もちろん、運動したりそういう努力はいるが、根本の生きづらさはどうにか自力で処理できるものじゃないからもういい。

 

いい意味で諦める。この長いトンネルはいったいどこまで続くんですかね? どうぞどこまでも連れて行ってくれて構わねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メモ

 ブログに通知が来ていて、閲覧数が増えているので記事を整理しようと思った。

 

 自殺の仕方の記事がめちゃくちゃ読まれていた。自殺についてぐぐって来られた人たちだった。

 

 

 私は精神病院に入院している時に、看護士から「自殺で死んでいった人は弱い人よ!」と言われた。

 

 自殺は何がなんでもいけないことか? おまえは要介護の自分の親に同じことを言えるか? 

 

 QOLとは何か? と思う。痛を取り除くために死ぬのは人としての権利なのでは?

 

 

 そう考えていたら、安楽死先進国のオランダがすごい法案を提出していた。

 

 安楽死が合法のオランダは、自殺に関して進みまくっていて、単に”人生が終わった”と感じている人や、”人生に疲れ果てた”と思っている人の自殺幇助が合法化されるという。ただし適用は高齢者のみとなる。

http://karapaia.com/archives/52226875.html

 

 人生を終わらせる権利を国民に与えたオランダ政府が素晴らしすぎる。ただ、高齢者のみと限定されているので、労働力のない者を切り捨てる政策かな? とも勘ぐってしまう。

 

 めっちゃオランダに住みたいんだけども。高齢者になったらいつでも死ねると思うと、老後の心配もしなくて良い。

 

 実際に安楽死するかどうかじゃなくて、気持ちが楽にならないか? 気楽に生きていけないか? オランダに帰化したい。すごいぞ、オランダ!

 

閉鎖病棟に入院していた

1ヵ月半、閉鎖病棟に入院していた。手元に薬がなくなり、禁断症状で苦しんだからである。

 

退院してからわかるのは、自意識が静かである。文章も長々と書けない。

 

今あるのは、薬で積み上げてきたものしかない。シラフの自分にとっては、違和感のあるものだらけだ。なぜ薬をあおってまで動画配信なんてしていたのか? 人と話すとイライラするのに、なぜラインを頻繁にしていたのか?

 

そういう自己矛盾におそらく苦しんでいたと思う。薬をあおりながらも、理想の自分と現実の自分の乖離にいらついていた。

 

この先、薬をまたやってしまうかもしれないし、アルコールやタバコなどに依存するかもしれない。ただ、それをやってまた苦しむのはいやなので、またしんどい思いをした時は物質依存ではなく、自殺完遂に尽力したい。

 

苦しみを一時的にまぎらわす物質ではなく、死は苦しみを永遠に終了させられる。だが自殺完遂は難しい。死ねるようなマンションは住人しか入れないし、10階から飛び降りた人も運悪く生きているし、首吊りは国有林に行くハードルが高すぎる。

 

死にたい人間が致死できないのは無様すぎる。

なんで自分を殺してまで、こんなもの大切にしていたんだろう

 今までさんざん薬を飲んで、周りに合わせてきた。大学で薬に出会って、薬で人格を変えて、友達を作ったり、彼氏を作ったり、就職面接を受けたり、薬で集中力を高めて勉強をしたりしてた。

 

 だけど、「薬で人格変えてまで、手に入れようとしてきたもの、別にいらねえなあ」っていう結論に至った。

 

 

 まず、「公務員」という職業にこだわりすぎていた。これは親の影響である。公務員も、その特権階級が欲しかっただけで、仕事には何の興味もない。事務作業は苦手である。人間関係が命の公務員では、発達障害ぎみの私はどのみちうまくやっていけなかったと思う。休職することを前提でこの職業を選んだ。

 

 また、友達が欲しくてしかたなかった。薬なしでは人とマトモに話すことができない。表面的な、うわべな付き合いをできる友達もいなかった。薬で人格を変えることで、それはクリアした。しかし、友達に悩みを打ち明けることは今までなかったし、まったく心を開けなかった。私の真の友達は、メンタルヘルスについてボソボソとしゃべるネットの友人だった。

 

 また、恋人を作った。出会い系でも何人かと出会った。しかし、私は「恋人という称号」が欲しかっただけである。公務員試験に合格してから、付き合いだして将来も考えた彼氏もいたが、真剣な話し合いができず、あまりにも器が小さすぎるということが判明し、何度も別れてほしいと告げている。今までダラダラと連絡を取ってしまったが、連絡先を全てブロックし、完全に関係を絶った。

 

 

 私が薬で手に入れてきたものは、「仕事」「友達」「恋人」と、普通の人間にとってはあまりにも普遍的で当たり前のものである。しかし、今では「なんで自分を殺してまで、こんなもの大切にしていたんだろう?」と不思議になる。

 

 

 私がいちばんこわだっていたのは公務員である。面接でのエピソードを語るために、面白くもないボランティアもしまくった。話す力をきたえるために、塾講師のアルバイトを我慢して続けた。1年間も面接対策に通った。

 

 友達の誕生日会に嫌々出席した。自分の誕生日は覚えてさえもらえないし、メールのひとつもよこされることはなかった。大学3回生の頃は、毎日鴨川でひとりで昼食をとっていた。大学の卒業式には出席しなかったし、卒業手前で学部のラインを退会した。

 

 仕事で疲弊しながらも、毎週片道1時間かけて恋人に会いに行った。体力をごっそりけずられながらも、薬を飲んで、相手に合わせた。嫌なことをハッキリ嫌とも言えず、楽しいことだけを共有した。誰よりも多くの時間を一緒に過ごしたが、真剣な話をすることはなかった。何も残らなかった。

 

 

 もちろん、それぞれは私に夢を見せてくれたのだが、「手に入れてみたけどやっぱり違いました~」とポイ捨てできる程度のものしかなかった。それぞれを手放す時は、もちろんしんどかった。

 

 クソ虚しいが、しょうがない。すべて無理をして手に入れたものである。薬を飲んでも、どうでもいいものしか築くことができなかった。

 

 

 「薬を飲むと人を傷つけてしまう」と、過去に記事で書いたが、そもそも、薬がなければ人と縁を結ぶことさえもできなかった。一時的であっても、夢を見せてくれたのだろうが、感謝よりも憎しみの気持ちが強い。

 

 ニコ生のリスナーに、「ありがとうという言葉が軽薄だ、心がこもっていない」などと神から目線のリプライを飛ばされたこともあるが、当然である。私の生きづらさは、おまえら健常者にも一因がある。他人に対して、優しい気持ちになることなどない。憎しみはわいても、慈しみの感情はない。

 

 

 私はこれからも何度も断薬したり薬を飲んだりを繰り返しながら、他人に刃物をフリ回しまくっていくだろう。私は男と寝まくるタイプのメンヘラじゃないし、かまってちゃんメンヘラでもないので、基本的には誰かとあまり連絡を密には取りたくない。

 

 さみしいと思うことはないし、ひとりの時間がとても充実している。こちらが無視していても、向こうからガンガン関わってこようとするタイプの人間はいるが、「ああ、そういう人もいるんだなあ」と思いながら無視をする。「ひとりはさみしい」と思う人もいれば、「ひとりが最高」と思う人間もいる。

 

 

エビフライに人生をめちゃくちゃにされた

 私はエビリファイの服用によって、副作用が出て、ベランダから飛び降りた。しかし、医者にエビリファイと同じ成分の薬を処方された。そして昨日、また同じ症状が出た。用法用量を守って服用していたのに、また振り出しに戻ってしまった。

 

 市役所で必要書類をもらいに行って、帰りの電車に乗っている間に症状が出てきた。目の動きがおかしくなるのである。眼球が意図せず上へ上へと向かう。上へ向かいすぎて、空をにらみつけるような形になる。それでもまだ眼球は上へ上へと向かう。目まいで倒れそうになる。目の焦点が合わない。目元を隠しながら帰宅した。

 

 もう二度とあの症状はごめんである。1か月分のエビリファイを処方されていたが、全部廃棄である。親の金とはいえ、薬を廃棄するのはもったいない。医者も薬も信用できない。