墓の中から

クソリプガイジの墓場

自殺の仕方をぐぐる人生

 

  • 2017年の正月に私がしていたこと

 2017年になっても、死にたい気持ちはどうにもならず、正月にネットで自殺の仕方を調べた。正月をめでたい気分で迎えることができなくなったのは、いつからだったか覚えていない。ネットで知り合った引きこもりの友人に、「今年こそ死のうな」とチャットを飛ばした。挨拶のように「死にたい」と言える関係は素晴らしいと思う。

 

 しかし、本当に、心底死にたいと思うのはつらい。なぜならば、圧倒的に孤独ということを思い知らされるからだ。孤独とは、ひとりぼっちでいることではなく、70億の人類がいても、この苦しみは誰にも背負ってもらうことはできないと思い知らされることである。自分ひとりで、この重たいものを墓場まで抱えていかなければならない。できれば、誰だって生を祝福されて生きていきたいだろう。

 

 ただ、生きていることがどうしようもなくつらい時、いつでも死ねるという事実のみが私の救いだった。自由に生きられないこの人生で、唯一自由だったのが、いつでも死ねる自由だった。

 

 件の友人が、自室のドアノブに縄を吊るしていつでも死ねるようにしていると聞いて、正月に首吊りの方法をネットで調べた。私は段階を踏んで自殺に至るというよりも、突発的に死にたくなるし、面倒くさい準備は苦手なので断然飛び降り派だったが、首吊りは自殺方法ナンバー1と人気で、確実な方法を知っておいても損はないと思った。

 

 2chでは自殺の仕方は語りつくされているようで、首吊りが最も苦痛がなく確実に逝ける方法として、まとめのページができていた。そこには、ただ淡々と自殺を成功させる方法が記してあった。縄の選び方、結び方、吊る場所の選び方、失敗例から学ぶこと、更には他殺を疑われないための遺書の書き方など。これは自殺未遂者が迫害されながらも積み上げてきた知識の結晶である。先人の努力に感謝しなければならない。

 

 内容が内容なため、削除されてしまうかもしれないらしいので、私はそれをスマホのメモに書き込んだ。そして、体が自由に動くようになったらホームセンターに首吊り用の縄を買いに行こう、と思った。死に方を検索するくらいなので、大分追い詰められた状態だったが、家族にも医者にも気軽に「死にたい」とは言えなくなっていた。

 

  • 職場のストレスから薬を乱用し、自宅のベランダから飛び降りた件

 

 なんせ、職場のストレスから薬を乱用した結果、自宅のベランダから飛び降りてしまったので、精神科では「危険」とレッテルを貼られてしまうのは仕方のないことだった。「死にたい」と希死念慮を口にするだけで閉鎖病棟行きに近づいてしまう。死ぬ自由を奪われることは、私にとって人権を剥奪されることとイコールだ。

 

 私がいちばん恐ろしかったことは、「自殺の後遺症により、二度と自殺ができなくなる状態になること」だった。後で述べるが、私はその状態を一度経験している。だから、自殺を仮に行うようなことがあれば、確実に致死でなければならない。

 

 療養している時に、「ジョニーは戦争に行った」という映画を知った。(ネタバレを含む内容のため、灰色にしてある)映画そのものは反戦をテーマにしているが、これ以上に残酷な結末の映画はない、と私は思った。主人公は、戦争により四肢、視覚、聴覚を失われてしまった兵士である。意識はハッキリ残っているにもかかわらず、意思疎通の手段を持たないので、周りは主人公に意識があることに中々気づかない。肉体の檻に閉じ込められた主人公が、俺を殺してくれと絶叫をする。だが、自殺することさえできない。そこで映画は終わりだ。

 

 私は、肉体という檻に精神が閉じ込められてしまう恐ろしさをよく知っている。薬を乱用した副作用で、薬剤性パーキンソン病になった時のことだ。

 

 私のかかった症状はこうだ。目玉が飛び出しそうなほど開き、意図しない方向に動き出す。首が背中のほうにこれでもかとねじれる。体全体が、統一を失ってあちらこちら好き勝手に動き出す。大学の福祉の授業で習った脳性麻痺患者と、自分の動きが、全く同じだ、と思った。脳性麻痺は治ることがない障害だと聞いたことがある。しかし、私の意識だけはハッキリと、いつも以上に鮮明に働いていた。この状態が続いたのは2~3日のことだったが、その時はそれが永遠に続くように思えた。絶望した。

 

 

の体と精神を背負って、一秒も生きていたくないと思った。

 

 

 私はベッドから抜け出し、自室の窓を開いた。外はもう薄暗く、日が落ちかけていた。10月下旬だったので、肌に触れる空気が少し冷たかった。下をのぞき込むと、隣の家の植え込みが見えた。コンクリートブロックがむき出しになっていて、プランターなどの障害物もあり、頭から落ちる恐ろしさを想像するとできなかった。

 

 しかし、私は少しでも長くこの地獄から解放されたい。今度は母の部屋からベランダに出た。夕ご飯の準備をする音が聞こえる。私は飛び降りる気にはなれず、また自室のベッドに戻った。ベッドの中で、体が元に戻るよう祈りながら、再びじっと横たわる。すると、また体がねじれ出す。眼球が好き勝手に動き出す。死ぬしかない。ベランダに行く。これを何度か繰り返した。

 

 私は何度目かのベランダで、手すりをつかんだ。飛び降りようと身を乗り出した。怖い。何度もやめようと後ろを振り返る。だが、逡巡して止まっている間に、体のねじれはまた始まった。この牢獄から抜け出したい。飛び降りるしかない。私は手すりに手をかけ、鉄棒の前回りの要領で上半身を下へ向けた。体の重みで、手が手すりから離れた。

 

 落下している間のことは、覚えていない。完全自殺マニュアルに、飛んでいる最中は恐ろしい気持ちはなくなる、と書いていたのは、その通りだと思った。しかし、私の場合は2階から飛び降りただけだったので、褒められることはできない不完全自殺である。すぐに意識が戻り、怪我も軽かったのか、立ち上がることができたので、運よく死ねなかったのか、と思った。地面よりも高い土の植え込みに落ちたので、肘や足に打撲を負っただけだった。

 

 医者は、最もひどい怪我を負いギプスをつけた右足は、もしかしたら切断することになったかもしれない、と言った。私は、右足がなくなれば働かずにすむならその方がよっぽど幸せかもしれない、と思うほど最悪な精神状態だった。そういえば、働いていた時に3か月ほど長期の休暇が欲しくて、死なない程度の怪我をすれば休めるだろうかと何度となく想像していたのを思い出した。半ば逃避のように考えていたことが実現するとは皮肉だった。

 

  • 自殺をする人間の精神状態について

 

 その後、青森県の中学生がいじめを苦にして電車から線路に飛び込んだという記事を見た。女の子は、電車から飛び降りる時、何度もためらうように後ろを振り返っていたという。私と同じだと思った。死にたい死にたいと毎日考えていても、死ぬ直前には動物の本能が邪魔をして逡巡する。そして、もしかすると、誰かがこの苦しみを何とかしてくれるのではないかとありえない奇跡をすがるような気持ちが沸いてくる。

 

 

 しかし、件のサイトには、こう記してある。「心の底から厭世観や絶望感に襲われたら、人間は恐怖心など消え失せ、迷うことなく死を選びます。勇敢とか臆病とかは、まったく関係ないのです。迷った精神状態では、死のうとしても、未遂に終わるだけでしょう。死ぬのはいつでもできます。迷いもなく死を受け入れられるようになるまで、待ちましょう。死を焦る必要はありません

 

 そうだ、死ぬのはまだ先でもいい。だが、死ぬときは病気や事故などではなく、自殺で終わるような気がする。ただ、感情的に自殺を実行するのではなく、身辺整理をしたり、遺書をきっちり書いたり、生命保険を掛けるなど、色々準備をしておくことも大事だなあとぼんやり思う。幸運なことに、今のところ、次の自殺の予定は未定である。