墓の中から

クソリプガイジの墓場

「この仕事しかない」という勘違い(※閲覧注意;合法薬物に関する事項あり)

  • あ、税金でメシ食ってました

 

 日本の正社員の労働条件は、最低でもこうだ。週5日勤務、1日8時間労働。世間の認識では、ホワイト企業と拍手される。私が半年間働いた市役所は、この条件だった。ただ、3か月ほど働いたところで、1日が1週間のように密度が濃く重く感じるようになった。

 そもそも、週5勤務、1日8時間労働は働きすぎであると思う。私の場合、薬を乱用していたことも影響しているかもしれないが、仕事で疲労し、家に帰ってもくたくたになってご飯を食べるパワーも搾り取られてなくなっていた。夏場でもお風呂に3日くらい入らなかったこともある。

 

 しかし、誰もが最低週5、最低8時間労働をできると思い込まないでほしい。それが「当たり前」という前提で、枠に閉じ込め、相手に押し付けると、相手は嫌になって耳をふさいでしまう。

 私は世間の認識では最低労働時間の公務員でさえ務まらず、結局半年足らずで働くことができなくなったが、逆に公務員試験を通過し、半年も働くことができたのは薬のおかげだと思っている。

 

  • 薬物依存ジャンキー女ができるまで

 

 薬の味を覚えたのは大学3年生の時のことだ。私は人と話すことが苦手で嫌いだったので、飲み会が大嫌いだった。よくドタキャンをした。

 

 だが、ある時、ゼミの発表があった時、緊張を抑えるために薬を服用した後に、発表がうまくいったため、その場の気分でゼミの飲み会に出席したことがある。その時の私はいつになく饒舌に話すことができた。

 

 そもそも、このように文章でくどく自分の内面を表現するくらいなので、普段から人よりもたくさんのものを感じていると思う。が、口頭で表現するのは苦手だ。だから、言葉で誰かとコミュニケーションをとれたことは嬉しかった。

 

 その時のことを、友人は「お酒が入ってたからだろうね。よく喋ってた」と話していたが、私はペラペラと陽気に話している間も、自分がなぜこのように気分が高揚しているのかに気づいていた。コンスタン0.8mg(安定剤) のおかげである。更に言えば、お酒と薬が強く作用したのである。発表前に服用したその薬の影響としか思えなかった。

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 薬は本来、病気をなおす、あるいは緩和することを目的に作られるが、あるキッカケで誰かが違う使い方に気づいてしまう。私の場合はそのキッカケがゼミの飲み会だった。それから、私は薬で人格を変えて人生を楽しむ味を知った。薬の力で、人と目を見て話すこともできたし、体はなぜか軽くなったし、何もないのにテンションが上がった。

 

 しかし、私のジャンキー生活は、「自殺の仕方をぐぐる人生」という記事で記したとおり、薬剤性パーキンソン病によりベランダから飛び降りる所で終わっている。

 

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  • 咳止めブロンをODしまくった女の末路

 

 私の薬物ライフを加速させたのは、就職の面接だった。私は民間企業の面接は受けず、公務員試験しか受けなかったが、「就職の面接」というものを、高校生くらいの頃から恐れていた。社会的な場面で、極度に緊張をしてしまう社交不安障害という精神病を患っていたためである。

 

 そのため、面接前には、ネットで個人輸入した薬を30錠くらいODして挑んでいた。ただ、当時の私にODをしているという感覚はなく、「緊張をするときに数錠ずつ服用する」という方法をとっていた。だが、数錠ずつ服用しても全体量はODに値する。だから、Z市の面接会場ではラリってしまって、待機場所で変なことをしてしまった気がする。4つ自治体を受けたが、Z市はこれが原因だったかはわからないが、落ちてしまった。

 

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 薬の力で事なきを得て(?)、私は公務員仲間や先生から、「すごい楽って聞くよ」と噂の自治体を選んだ。結局、配属された部署は全く楽ではなく、新規採用者の中で、おそらく仕事の難易度の高い部署だった。

 

 だが、就職してからも薬との縁は切れなかった。なんせ、薬は飲むだけで100%私に報いてくれる。人間なんかよりも、信用できるものが薬だった。薬は、友人であり、恋人であり、家族であり、宝物だった。

 

 しかし、薬は副作用というキバをむく。今まではそれさえも可愛いものだと思っていたが、社会人になると状況が変わる。新しい環境に緊張していたため、1日に10錠ほど服用し、眠気が起こることはしょっちゅうで、新採研修では起こされていることにも気づかず爆睡してしまい、研修担当の人事に目をつけられてしまった。また、仕事も覚えるのが遅く、不器用だったので、上司からはよくイヤミを言われていた。

「いやあ、墓さんは、学歴はいいけど、仕事あんまりできないね。他の人は学歴は誇れないけど、仕事はできるって不思議だね。ウチの部署は、学歴と仕事が逆やなあ。ハハハ!!!」

 

また、面談時には、「墓さん、発達障害じゃない? 親族にそういう人いない?」とも言われ、上司は裁判で訴えられる覚悟があって話しているのだろうかと思った。上司には、障害を抱えた子どもが2人いた。私を発達障害ではないかとなじる上司もまた、発達障害ぎみだった。

 

 この頃には、処方薬が全く効かなくなってしまい、麻薬の成分も含有されているという咳止めブロンを過剰摂取していた。職場のトイレで嘔吐を繰り返してもやめることはできなかった。一瞬でもこの苦しみに満ちた人生から逃れられるのならば、内臓がいかれても、脳みそが破壊されても、後のことなど知ったことではない、働いているのだから他人にどうこう言われる筋合いはない、と思った。

 

  • で、薬キメながら働くの? ニートするの?

 

 今現在、仕事については模索中で、この先どうしたいとか、ハッキリした展望はない。3月までは市役所に籍を置いてあるので、4月からは無職である。

 薬を乱用しながら世間体のためにもう一度公務員試験を受けたり、民間企業で働いたりする選択肢もあるが、私はそれはごめんだと思っている。元いた道に戻れば、また死にたくなるのは目に見えている。「自殺のしかたをぐぐる人生」の記事の冒頭で述べたとおり、死にたいという感情はとてもつらいものである。できれば、死にたいなんて思わないような環境を探して身を置きたいと考えている。

 

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 私が正社員として働いたのは半年足らずだが、その半年の間にわかったことがある。私は、社会のやり方には馴染めないということである。「嫌だ」、とか「合わない」、のではなく、「できない」のである。

 

 だから、現在は、自分が楽に生きられる方法を、あれは違う、これも違う、と模索している最中だ。この過程をもっと早く、学生時代にやっておくべきだったと今になって後悔している。ただ、当時は市役所の面接に通過することがゴールだと本気で思っていて、まさか一年で市役所を辞めるなんて全く想像していなかった。親の刷り込みもあっただろうが、私の周りの学生たちも「公務員になれば一生安泰だ」と思っていた。

 

 しかし、公務員という特権階級から下りることを余儀なくされてしまったため、次の身の振り方を考えなければならない。今考えているのは、「家庭菜園をして、自分の食糧はまかないつつ、最低限の仕事をする」という生き方である。「半農半Xという生き方」や「フルサトをつくる」という本に、現実的な方法でそれを実現する方法が記されている。

 

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 しかし、これもうまくいかないかもしれない。だが、再度正社員として働くことを想像するよりかは、圧倒的にワクワクするし、その方が(自殺を企図しないという意味でも)長生きできそうだと思う。この生き方は、人との縁が大事だと再三繰り返し述べられているので、私には実現できないかもしれないが、コミュニティをたくさん訪れ、居心地のいい所を探せばよいとも書いてある。

 

 また、山奥ニートをしているという石井さん(山奥ニート | ザ・ドキュメント | 関西テレビ放送 カンテレ)は、「田舎では、人手が少ないし、若い人がいるっていうだけで喜ばれる」と語っている。私は職場では無能と存在を疎まれていたし、実家でもいつ働くかわからないニートとして煙たがられているので、居るだけで褒められなんてとても素晴らしい所だと思った。自己肯定感に満ちて、希死念慮も薄まっていきそうだ。

 

 この男性は、「好きか嫌いか言う時間」というテレビ番組では、地域コミュニティという点でも役立っていると評価される一方で、「働くなら週3くらい」とも語っており、取材に対応していた際に着ていたTシャツには「無気力」と書いてある。地域の人に期待され張り切りすぎても、継続しないだろう。こういうゆるい感じでなら私でも生きていけると思う。

 

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春になれば、家庭菜園を始めたい。窓から飛び降りようとした時に、プランターの方を選ばなくて本当によかったと思う。プランターを見るたびに傷がうずくのは嫌だ。