墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

メモ

 

 ・宗教は痛みによりそってくれる。「この命は、生かされている」という考えには到底たどり着けないが、仏教の思想は、私の抱えている痛みを少し和らげてくれる。目が見え、鼻でにおいを感じ、呼吸をし、おいしくご飯を食べられ、自分の思いをこうやって文章で伝えられることは、すべて当たり前のことではない。

 

 

自閉症の東田直樹さんの本で、自閉症の人は私の恐れている「体に閉じ込められ、表現できない苦しみ」を抱えていることがわかった。それでも、あのように美しい言葉をつむげる彼から学べることはある。

 

 

・中・高・大・職場では、ムリをしまくってストレスな毎日だった。健常者にまじって、頑張ってきた自分をほめてあげたい。これからは、仏教が示しているように、生きていることそのものの幸せを追求していきたい。今は宗教にどっぷりつかる気はないが、宗教は、痛みによりそってくれる。

 

 

 

結論

 

しんどい思いをして長生きをするより、痛みをやわらげて、穏やかに過ごしたい。ガンのターミナルケアと同じである。「薬の投薬で、痛みを和らげる」感覚である。生きる質、クオリティオブライフに関わることだ。人間らしい暮らしをするために、薬は必要不可欠だテレビを楽しんだり、映画を楽しんだり、ぬり絵を楽しんだり、散歩を楽しんだり、そういう人間らしい暮らしをするためには、薬は必要だ。医者が何を言うかは関係ない。最低限の薬しか投薬しない医者は無能だ(めちゃくちゃ頭がいいから、医者の言うことは正しい。正しいが、救われない)。

 

 薬を飲みたいだけの主張に聞こえるだろうが、少量の薬で無理くり生きることは、人間としての尊厳を奪われることに等しい。どんな薬にも、体の依存はある、という正論で、自殺志願者を救えるか? 私は医者の考えを肯定しない。少量の薬でやれる患者だけを相手にすればよい。また医者にケンカ腰で書いてしまったが、幸せを追求させてほしい。おいしくご飯を食べるとか、そういう普通の幸せを享受させてほしい。

 

 

 

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薬酔い

  昨日の記事で、「薬を飲んで手に入れたものはどうでもいいものしかなかった」と書いた。しかし、なぜまた薬を飲んで、一度捨てたものをまた手に入れようとするのかを考えたい。

 

 

 そもそも、「やめる」「やっぱり続ける」を私は繰り返しすぎている。メンヘラの権化である。断薬に始まり、美容整形の電話は、合計5回以上キャンセルの電話を入れたし、ニコ生のコミュニティも5回以上爆破しては作り直したし、「2度と連絡しない」と思っていた友人に、やはり5回以上連絡を取ったし、このブログも2度停止している(そしてこれからもそれを繰り返すと思う)。

 

 

 これは、「実行する」⇒「後悔し、耐えられなくなる」⇒「やめる」の繰り返しである。本当に実現したいことや、欲しいものが、何もない。今までがむしゃらに周りに合わせてきたが、「あなたの自由にしていいよ」と言われた途端、自分のしたいことは何もなかったのだと思い知らされる。日常のささやかな幸せに感謝せず、薬でぶっ飛んでドギツイ幸せを求めようとする。

 

 

 引きこもって、両親以外と関わらない生活を送っていても、なぜこんなにストレスを感じるのかわからない。「早起きして、よく働き、運動し、栄養のあるものを食べ、1日に感謝して眠る」という健康的なことができればよいのだが。しかし、体はだるいし、食事をするのもおっくうだし、運動は続かないし、1日を後悔して眠りにつく。そして朝起きたら、何もかも捨ててリセットしたくなる。どんな生活をしていても、何でもマイナスにこじつけてしまう病気である。意識的に、自分のプラスになるワークを毎日続けたい。

 

 

 メンヘラという言葉は嫌いだが、メンヘラの特徴に、「人間関係をすべてリセットする」というものがあると知った(もちろんあてはまらないメンヘラもいる)。私は「人間関係リセット病」である。

 

 

 だが、薬を飲んでやったことを後悔すると、もうそれをしないでおこう、とどこかで歯止めがかかる。10回同じことを繰り返して後悔したら、11回目には薬でラリっていても、もうそれをしないでおくこともできた。こじつけだが、やはり、薬を飲むことを否定できない。

 

 

 

 しかも、薬を飲まないと、口頭で自己主張することもできない。周りがどれだけつくしてくれようが、反抗することでしか自分を表現できない。だから薬を飲む。

 

 

もしかすると、感情を外に出すために、薬を飲むのかもしれない。健常者が、鬱憤を晴らすのにお酒を飲みながらワイワイ愚痴り合うのと似た心理かもしれない。

 

 

 私は文章で表現するのは得意なので、文章を書いて他人に読ませたが、自分のこの生きづらさは他人に理解されることなど永遠にない。このブログを書き始めてからわかった。

 

 

 薬なしで、文章で主張したところで、読解力のないチンパンジーが相手だと何も通じない。私がこうして長文で自分を表現すると、対抗して長文で感想を送りつけてくる人間がいるが、自分語りか説教かのどちらかである。しかし、考え方の違う他人の意見では救われない。救いは自分で見つけなければならない。孤独だが、その孤独は苦痛ではない。本を読んで精神を豊かにさせる方がよい。同じように悩んでいる人が、どのように工夫しながた生きているか、学ばせてもらう方がよい。

 

 

 

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ハッピー

 昨日、1週間ぶりに薬をキメてめちゃくちゃにラリった。合計20錠くらいキメた。めちゃくちゃ幸せだった。

 

 まあ、キメてる薬はもちろん正しい使い方をしてないから、精神には悪い。だが、「薬を飲まない(断薬)」⇒「薬を飲む(スリップ)」という過程を通して、わかったことがいくつかある。それを文書にしておきたい。

 

 

 私は今までさんざん薬を飲んで、周りに合わせてきた。大学で薬に出会って、薬で人格を変えて、友達を作ったり、彼氏を作ったり、就職面接を受けたり、薬で集中力を高めて勉強をしたりしてた。

 

 だけど、「薬で人格変えてまで、手に入れようとしてきたもの、別にいらねえなあ」っていう結論に至った。

 

 

 まず、「公務員」という職業にこだわりすぎていた。これは親の影響である。公務員も、その特権階級が欲しかっただけで、仕事には何の興味もない。事務作業は苦手である。人間関係が命の公務員では、発達障害ぎみの私はどのみちうまくやっていけなかったと思う。休職することを前提でこの職業を選んだ。

 

 また、友達が欲しくてしかたなかった。薬なしでは人とマトモに話すことができない。表面的な、うわべな付き合いをできる友達もいなかった。薬で人格を変えることで、それはクリアした。しかし、友達に悩みを打ち明けることは今までなかったし、まったく心を開けなかった。私の真の友達は、メンタルヘルスについてボソボソとしゃべるネットの友人だった。

 

 また、ネットを通して恋人を作った。出会い系でも何人かと出会った。しかし、私は「恋人という称号」が欲しかっただけである。公務員試験に合格してから、付き合いだして将来も考えた彼氏もいたが、真剣な話し合いができず、あまりにも器が小さすぎるということが判明し、何度も別れてほしいと告げている。今までダラダラと連絡を取ってしまったが、連絡先を全てブロックし、完全に関係を絶った。

 

 

 私が薬で手に入れてきたものは、「仕事」「友達」「恋人」と、普通の人間にとってはあまりにも普遍的で当たり前のものである。しかし、今では「なんで自分を殺してまで、こんなもの大切にしていたんだろう?」と不思議になる。

 

 

 私がいちばんこわだっていたのは公務員である。面接でのエピソードを語るために、面白くもないボランティアもしまくった。話す力をきたえるために、塾講師のアルバイトを我慢して続けた。1年間も面接対策に通った。

 

 友達の誕生日会に嫌々出席した。自分の誕生日は覚えてさえもらえないし、メールのひとつもよこされることはなかった。大学3回生の頃は、毎日鴨川でひとりで昼食をとっていた。大学の卒業式には出席しなかったし、卒業手前でラインを退会した。

 

 仕事で疲弊しながらも、毎週片道1時間かけて恋人に会いに行った。体力をごっそりけずられながらも、薬を飲んで、相手に合わせた。嫌なことをハッキリ嫌とも言えず、楽しいことだけを共有した。誰よりも多くの時間を一緒に過ごしたが、真剣な話をすることはなかった。何も残らなかった。

 

 

 もちろん、それぞれは私に夢を見せてくれたのだが、「手に入れてみたけどやっぱり違いました~」とポイ捨てできる程度のものしかなかった。それぞれを手放す時は、もちろんしんどかった。

 

 クソ虚しいが、しょうがない。すべて無理をして手に入れたものである。薬を飲んでも、どうでもいいものしか築くことができなかった。

 

 

 「薬を飲むと人を傷つけてしまう」と、過去に記事で書いたが、そもそも、薬がなければ人と縁を結ぶことさえもできなかった。一時的であっても、夢を見せてくれたのだろうが、感謝よりも憎しみの気持ちが強い。

 

 ニコ生のリスナーに、「ありがとうという言葉が軽薄だ、心がこもっていない」などと神から目線のリプライを飛ばされたこともあるが、当然である。私の生きづらさは、おまえら健常者にも一因がある。他人に対して、優しい気持ちになることなどない。憎しみはわいても、慈しみの感情はない。

 

 

 私はこれからも何度も断薬したり薬を飲んだりを繰り返しながら、他人に刃物をフリ回しまくっていくだろう。私は男と寝まくるタイプのメンヘラじゃないし、かまってちゃんメンヘラでもないので、基本的には誰かとあまり連絡を密には取りたくない。

 

 さみしいと思うことはないし、ひとりの時間がとても充実している。こちらが無視していても、向こうからガンガン関わってこようとするタイプの人間はいるが、「ああ、そういう人もいるんだなあ」と思いながら無視をする。「ひとりはさみしい」と思う人もいれば、「ひとりが最高」と思う人間もいる。

 

 

追記)昨日の記事を読んでクソワロタ。薬が入ってる時の私、陽気すぎである。アマギフ、本当にありがとうございました。自分を幸せにできるような使い方をします。クソリプを飛ばす人もいえば、アマギフを黙って飛ばす人もいるんですよね。

 

 

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薬を飲んで生きますけれども?

  • 薬を飲んで生きますけれども?

 

 ブログを一時休止していた。というのも、ブログを書くとクソな自分と向き合わねばならないからである。

 

 また、人と関わるのが億劫になっていた。「だいじょうぶ?」とさえ言われるのも億劫だった。裏垢のツイッターでファボをつけられるのでさえイライラする。両親に話しかけられても答えない。薬がないときは、常に顏は無表情である。

 

 今は薬をキメて書いているのだが、薬があると気持ちがマイルドだ。ハッピー。笑顔になれる。

 

 医者は、重大な副作用が出たリスペリドン内用液の服用を停止させようとしない。「半分にしての飲め」とクソな指示を出している模様。

 

 私は母に「ハイハイじゃあ黙って薬を買ってコソコソ飲みますよ」と言った(実際、そうしています)。なのでこの話は終了!!!

 

★★★

 

 3/14です。ホワイトデーです。

 ああ~~~働いていなくてよかった~~~雑用費(月1000円)に、先輩の結婚資金(1万円)に、チョコレート資金(5000円)に、薬代(3万円/1か月)に、働いてたらウンコみたいに出費が多いもんね!!!!

 

★★★

 

 ところで、善意のリスナーの方が、プレゼントを送ってくれました。

 アマギフです。どうしたんだろう、と思い封を開くと、メッセージにはこう記されていた。

 

(抜粋)貴方の言葉には力が宿っています。貴方は言葉で生きていけます。

    自分の言葉を更に鍛えよう! そして、本をたくさんたくさんん読もう。

 

 

 

感動モノです。これは嬉しすぎました。本当にありがとうございました!!!!!!

 

そういう人の善意に触れると、こうやって「見てくれてる人がいるんだな」と.......。

 

 

 

次はどんな善意に出会えるんだろぅ・・・・・・?|ω・)(チラッチラッチラッチラッチラッチラッチラッチラッ

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ギター

 

 ひとりで過ごす時間はありがたい。ギターが楽しい。両親もおらず、外野のうるささがない。親は放っておけば死ぬまで私の面倒を見てくれるのだろう。

 

 自分から「自立しているので面倒をみなくてもいいですよ」と、ポーズをとらなければ本当に一生面倒をみられるだろう。しかし、私は薬なしには自立することは不可能である。

 

 どのみち、薬なしにこの先やっていくことは不可能なのだから、さっさとクリニックを変更したい。今、「最小限の薬でやっていくスタンス」をとっても、後でまた乱用の日々が始まる。

 

 

 

 私が信じられるのは、ひとりで過ごす時間だけである。文章を書いたり、ギターを弾いたり、自分と向き合う時間が、確実に私を癒してくれる。

 

 他人と何かをやり取りする気にはなれない。薬を飲むのは、他人と関わるためではない。自分のためである。

 

 

 

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