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墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

人間もどきが人間の感情を得たようで草

 ここ数日で人間もどきから人間になった話をする。

 

 

 例によって、スカイプで知り合った男と出会い厨をした。ヤりたかったわけではないし、セックスもしなかった。なぜ出会い厨をしたかというと、「半農半X」というキーワードを男が口にしたからである。自分が食べていけるぶんの野菜を作りながら、自分の適性に合った仕事をすることである。資本主義社会で働けなくなった私は、これからどうやって生きていけばよいのかわからず、何かを変えたかった。

 

 

 「半農半X」という生き方は魅力的ではあるが、人と関わるのが苦手な私が、コミュ力のいる半農半Xの世界に飛び込んでいけるわけがなく、人脈もツテもなかった。しかし、男は社交的な性格で、地元の人間を紹介してあげると私を誘った。正直、八方ふさがりの毎日だったため、男の誘いに乗った。

 

 

 ネットで出会い厨をしたことは過去にもあったし、抵抗感は薄かった。そもそも、薬でキマる毎日をどうにかしたかった。処方薬が合わなくなり、相変わらずネットで薬を購入して母親にブチ切れられたりしていたので、親から距離を置きたかった。

 

 

 男の住んでいる土地は、母方の祖母が住んでおり馴染みのある土地だった。そのため、親を説得して2か月ぶりに電車に乗って男に会いに行った。両親はマトモな人間のため、自殺未遂をした娘が電車で2時間もかけて男と出会い厨をすることを止めた。だが、祖母の家に夜泊まることを強く主張し、親の心配を無視して男に会いに行った。

 

 

 

 男との出会い厨は楽しかった。ここ1週間、薬でラリるだけでなく、酒でもラリっていた。男と昼からバーで飲んだ。夜も居酒屋で飲んだ。ヤク中の上にアル中である。世界が美しく、何を目にしても笑えた。「覚せい剤をキメると、トイレの床がキラキラしてキレイに見え、顔をかがやかせてトイレをながめていた」と語っていた薬物中毒女がいたが、それと同じだった。

 

 

 酒を飲みまくったが、付き合っていない男とセックスするタイプのメンヘラではないし、ふつうに祖母の家に泊まる予定だった。そこで、昼間から何度か祖母の家に電話をかけた。しかし、何度コールをしても祖母は出なかったので、近くに住んでいる叔母の家に泊めてもらうことになった。

 

 

 

 夜まで居酒屋で飲んで、叔母に車で迎えに来てもらった。私は酩酊状態だったし、叔母は私に動揺したと思うが、あまり動じた様子は見せなかった。ここの土地は、感情を表に出さない文化なのである。婉曲な文化である。私の地元のように、ストレートに言葉を発する文化はない。叔母は、こころよく家に泊めてくれた。私に言いたいことや聞きたいことは山ほどあっただろうが、気さくに話してくれた。

 

 

 翌日、祖母の家に叔母が行くというので、一緒に車で祖母の家に向かった。1年ぶりに会った祖母は、認知症になっていた。私は仕事で祖母宅を訪れることがなかったので、非常にショックを受けた。

 

 

 私の顔を見て、「どこの子?」と言った。私が孫ということも忘れていたので。表情が、実習で行った認知症高齢者と同じだった。私はそれがすごくショックで、広い祖母の家の隅っこで、ひとりでメソメソ泣いていた。去年の5月頃から、祖母はそんな様子だったらしい。私は仕事で精神が病んでいたため、祖母のことを気にする余裕もなく、何も知らなかった。

 

 

 2016年はろくな年じゃなかったな、と思った。厄年である。私は自殺未遂をし、公務員を退職し、薬物中毒になり、薬や酒でラリって親を泣かせ、母親は大病をし、祖母は知らないうちに認知症になっていた。

 

 

 脳トレの一環で、祖母に昔の写真を貼ってもらう、という作業療法を祖母と叔母と私3人で行っていたのだが、祖母は娘や孫を認識できていなかった。ただ、最愛の夫の顔だけは、覚えていた。「おじいさんの写真だけあればええわ」と話した。

 

 

 娘や孫のことは忘れてしまっても、最愛の夫のことを想う気持ちは残っているのである。最も強い感情が残っていくのだろう。食糧などの買い出しに出かけたのだが、購入したお供えの花を、祖母は家に戻るとすぐに生ける準備をしていた。山の上の墓地まで行く体力はないのに、夫のいる墓地まで行きたがった。それを叔母が止め、私と叔母で墓地に参った。

 

 

 祖母は、美しく、気品があり、気丈な人であったが、認知症により、理性のトリガーがゆるくなっていた。ショックだった。それでも、写真を見ながら、夫の写真や、若い頃の自分の写真や、友人の写真や、親の写真を見て、笑顔を見せていた。

 

 

 私は高齢者施設で実習やボランティアをしていたことがあるので、祖母にどう接すればよいか頭ではわかっていた。叔母にも、「おばあちゃんのことをよくわかってくれている」「声かけがうまい」と言ってもらえた。だが、祖母と一緒にいると、変わってしまった祖母への悲しみが強く、泣きたい気持ちになった。叔母さんの、祖母に対する優しい態度にも涙が出た。祖母を愛する気持ちが、言葉や行動に滲み出ていた。

 

 

 叔母さんは、美人で、社交的で、子どもたちは可愛くて頭がよく、夫は金持ちである。一般的な幸せをすべて手に入れているため、今まで苦手で話もできなかった。だが、そんな人の親でも認知症になる。叔母さんは、私が想像していたよりも寛容で、大人だった。今までろくに会話をしたこともなかったが、色々な話ができた。

 

 

 今まで、「人は生かされている」という仏教の意味がわからなかった。だが、認知症になった祖母と接して、直感で「人は自分の意思で生きているわけではないのだ」と思った。

 

 仏教に四苦八苦という言葉はあるが、「四苦」は、「生きること」「老いること」「病気になること」「死ぬこと」である。どれも、人間が自分の意思でどうにかできることはではない。

生きたいと思っても生きられず、年を取りたくないと思っても年を取り、健康でいたいと思っても病気になり、死にたくないと思っても死ぬのである。人生は何もかもが思い通りにならないから苦しいのである。

 

 

 帰りの電車で、酒をあおりながら号泣した。「祖母が認知症になって悲しい」という人間らしい感情があった。今までは、好きな祖父が亡くなった時でさえ、悲しみを感じなかった。子どもの頃大好きだった祖父が、「おまえは無口だ、もっと話せ」と言うようになり、祖父が苦手になった。祖父は人望があり、誰もが涙を流して悲しんでいたのだが、私は精神が病んでおり、「自分を否定する祖父がいなくなってくれてよかった」とも思った。

 

 

 だが、大学に合格して、祖父と祖母に会いにいったことを思い出した。クッキーを作っていったら、祖父母はとてもよろこんでくれたし、祖母はクッキーの作り方を教えてほしいと言ってくれた。川の流れる音を聞きながら、大学に合格してから手にしたスマホツイッターに「あー幸せ。大学が楽しみ」と書き込んだ。そんなことを思い出しながら、祖父が亡くなってしまったことが、とても悲しくなった。スカイプで出会い厨をした男と行ったバーのマスターの方言が、祖父とそっくりで、祖父を思いましてまた悲しくなった。

 

 

 祖父が亡くなって4年経つが、祖父を想って泣いたことはない。だが、祖母が認知症になり、娘や孫のことを忘れてしまっても、最愛の祖父のことを愛し続けている様子を見て、私はひどく罪悪感を抱いた。祖父が亡くなったことを悲しめなかった自分が嫌だった。「あなたが死んだら悲しい」というのはウソである。「私が生きている間は迷惑だから死ぬなよ?」という意味であると今でも思う。

 

 

 祖父は肉体的にもういないが、私の好きだった祖母も、人格としていなくなってしまった。悲しいが、祖母は気丈に色々なことに耐え、がんばって生きてきた人である。今までがんばってきた祖母をいたわりたい、という気持ちが自然とわいた。時間をかけてでも、祖母に会いに行きたいと思った。

 

 

 

 帰りの電車で、酒をあおりながらスマホをいじっていた。公務員の面接練習でお世話になった先生からメールが届いていた。

 

 

「お元気ですか? 本格的に忙しい時期になってきました」

 

 

 私は、酒を飲んで感情的になっているのと、祖母が認知症になった悲しみで感情がブレており、号泣しながら「私は公務員を辞めました。先生にはお世話になったので、申し訳ない気持ちがあります。でも後悔はしておりません」というような、また相手のことを考えないメールを送り、そのまま眠ってしまった。

 

 

 先生に送った詳細メールは、以下である。

 

「私は大学の頃から合法薬を乱用していました。その副作用で体がおかしくなり、自殺未遂をしました。

 

人間づきあいが下手で、人とうまく関わることができない上に、薬の影響で仕事でミスも多く、上司に目をつけられていました。

 

 予備校の面接対策でも、先生以外の講師とは相性が合わず、権力を持つ男性が苦手でした。

 

 4年以上も公務員になるために頑張りましたが、解雇されました。薬物中毒になっていたからです。

 

 公務員になれば一生安泰だと思っていました。でも、1年たらずで退職させられました。予備校では楽と噂の自治体でさえ、1年で退職させられました。

 

 もう公務員になろうとは思っていません。

 

 私は発達障害グレーゾーンです。今まで、まわりに合わせるために、自分の感情を殺して、やりたくないことを我慢してやってきました。

 

 退職をしてから、好きな服を着て、髪の色を明るくし、付き合いたい人とだけ付き合い、ピアスを開け、平日の昼間から酒を飲んでいますが、とても幸せです。」

 

 

 先生から返信のメールが届いていた。

 

 

「今まで色々あったのですね。今大切なことは、自分を大切にすることではないでしょうか。他人に言えないことまでお聞きしました。

 

 

 元の健康な〇〇さんに戻るように努力しましょうよ。いつでも私の前に来てください。正面から向き合って話し合いましょう」

 

 

 先生からの温かい言葉にまた号泣したのだが、「元の健康な私」というのは存在しない。精神障害が自分の一部だからである。

 

 

 そして、先生に先ほど返信のメールを送った。

 

 

「酒でラリって、さらけ出したメールをしてしまいました。動揺されたかと思います。温かい返信をありがとうございます。

 

 名医と噂の心療内科を知人に紹介してもらったので、かかる予定です。

 

 私は公務員は続けられませんでしたが、まったく後悔はありません。

 

 先生に親身に面接対策をしてもらえてうれしかったです。上から目線の面接の先生が多かったですが(笑)、先生は優しく親身にしてくださって、とてもうれしかったです。

 

 外出はあまりできないのですが、合った薬に出会い、安定したらまたお話ししてください。ありがとうございます」

 

 

 

 最後に、スカイプで出会い厨をした男と付き合うことになった。公務員をやっていた頃に付き合っていた男は、社会的ステイタスの高い会社に勤め、体力もあり健康な男だった。おそらく結婚をしたら一般的な幸せは求められたのだろうが、男はメンがヘラった私が付き合っていくにはしんどすぎる相手だった。また、相手も若くて健康で明るい女を求めており、メンヘラの私をもてあましているのがアリアリだった。

 

 

 今まで、「社会的ステイタス」「外見」「金」など、表面づらで相手を判断していたが、いかにそれが自分を不幸にしていたかがわかる。金を持っていて外見が整っており精神的に安定している人間とは、話してもわかりあえない。

 

 

 出会い厨をした男もまたメンヘラだし、将来がどうなるかはわからない。メンヘラと労働は相性が悪いので、金のある遊びはできない。だが、少なくともしんどい時にしんどいと言え、トイレで薬をコソコソ飲んだりせず、目の前で薬を飲めるのは精神的に楽だった。

 

 

 金を使う遊びもやったが、体力的にも疲れるし、パリピにはなりたくない。しんどい。もちろん、生きていくために最低限の金は必要だが、毎月3万払って薬をキメながら安定した収入を得るよりも、無理のない仕事をし、マトモな精神科を受診して、細々と暮らした方が幸せに決まっている。

 

 

 

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