墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

カウンセラーや医者にアドバイスされたことはすべて忘れたが、自分で出した結論はストンと腑に落ちる。

 このブログは、自分を見つめるために色々書いてきたのだが、もう必要ない予感がしている。心身共に回復したのは、新しい薬を試して2時間後のことである。完全に薬が適合している。

 

 そして、昨日1日薬を飲んでみて、「あ、これはやっていけるな」と確信した。ダラダラ悩みまくってしまったが、やっていける、と思うのは早かった。

 

 

 薬の圧勝である。薬学はすげえなと思う。私は文系人間だから、薬学はわからないが、理系人間だったら薬学を学びたかった。

 

 

 このブログでは、薬を処方しない頭のいい医者をさんざん無能と書いたのだが、もちろん無能はこの私である。死にたい人間は、早急にマトモな大学を出ている医者にかかった方がよい。医者に解決できることは限られているが、少なくとも、勝手なことを言う素人よりかは断然信じてよいと、今なら思える。

 

 

 健常者が気軽に「仕事だるい」というノリで「死にたい」と言ってしまうので、本当に消えて死んでしまいたい人間の居場所が無い。

 

 

 今服薬している薬は、統合失調症の患者が服薬するものらしい。なまじ中途半端な知識があったため、「統合失調症でもないのに、なぜこの薬なんだ?」「デパスは万人に効くから、デパスを処方してくれ」と、素人考えをしていた。医者が私の精神病をどのように分析したのかは知らないが、聞いたこともない薬だった。双極性障害にも使われる薬のようである。効果は弱~中程度なのだが、見事に自分にマッチングした。

 

 

 ネットで他人に悩みを打ち明けたり、いのちの電話に電話をして心無い言葉を投げつけられるくらいなら、マトモな大学を出た精神科医にかかれ。他人に適当なことを言われたり、ボランティアでやっているいのちの電話にできることなど、ましな精神科を紹介することくらいである。私は閉鎖病棟への入院を拒んだし、今でもその選択は間違っていなかったとは思うが、専門家に任せること、それが最も近道である。

 

 

 医者はもちろんであるが、私の場合、父の存在が大きかった。毒親であれば、とっくに家を出ていた。公務員になれと強制してきたのも父だが、マトモな精神科医を探したのも父であれば、仕事をせずに生きていく道筋を示してくれたのも父である。退職の手続きも9割方父が行ってくれた。もちろん、自分のやるべきことまで、父がやりすぎてくれている感じはある。自分のできることは自分でやらねばいけない。

 

 

 だが、合う薬に出会えていなかったら今でも医者を無能だと愚痴っていたと思うので、結果論でしかない。合う薬に出会って、運がよかったですね、という話である。

 

 

 やっと、人間らしく生きていける薬に出会えたので、ファボにイライラしたり、他人の言葉に過敏に反応しすぎることもない。今までスルーできなかったものをスルーできて、心穏やかである。今まで人間モドキだったが、今は人間である。

 

 

 今までさんざんゴチャゴチャ考えてきてわかったのだが、色々考えすぎない人間の方が徳が高いしハッピーに生きている。本当に、黙って運動をした方がよい。

 

 

 だが、わかってはいるが、考えてはしまう。私は頭が悪いが、頭のよい人間がさんざんアレコレ考えた結果、「何も考えない」ということが幸せだと結論を下したんだから、それが正しいと思う。だから、仏教なんかは、座禅なんかをして、何も考えない練習をすすめてるなと思う。

 

 

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