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墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

人間らしい生き方

●人間らしい生き方ができる薬に出会えた話

 

 

 医者からの処方薬が、思わぬ効果を発揮している。薬が、すごく効いている。テンションが上がりすぎたり、下がり過ぎたりしない。フラットな状態である。

 

 

 一生、薬をコソコソ乱用しなければならないと思っていた。自殺は思いとどまったものの、どうやって毎日を過ごしたらよいかわからない中、光が見えてきた。

 

 

 もしかすると、薬に関係なく、年に1度あるかないかくらい、体調がいい時なのかもしれないが。しかし、昨日は4時間くらいしか寝ていないが、今間での、ものすごくだるい感じがない。今までのしんどさは何だったのか? 錯覚か? と思うほど楽である。

 

 

 私は発達障害ではないのだが、発達障害は、コンサータとストラテラという薬を飲んだら、「それまで頭がクッソ重たくて、モヤモヤが取れなかったのが、コンサータを初めてから驚くほど冴えてる。処理スピードが倍増してる」と、まとめサイトで表現してあった。この感覚が、すごくよくわかる。頭がクリアである。全身がナマリのような、重苦しさがない。

 

 

「健常者は、毎日こんなに体が軽いのか?????」と驚いている。こんなに体が軽く、精神も健全なら、そりゃあ人に優しくする余裕も出てくるかもしれない。

 

 

 今まで、人に優しくなれなかったのは自分の心がせまいせいもあるが、自分のことで精一杯だったから、ある程度しょうがないと納得できる。自分を責めて自殺をするよりは、他人に難癖をつけて自分を保つ方が健全かもしれない。

 

 

 昨日から新しい薬を飲み始めたのだが、今日、薬の効果を確信し、隠し持っていた薬を父にすべて渡した。私がコソコソ隠れて飲んでいた薬は、安く、すぐに効き目が出て、すぐに効き目がなくなる。薬を飲んで、やったことを何度も後悔した。本意でないことをやってしまった。しかし、今の薬は、しっかりと自分が何をしているか、意識ができる。

 

 

 だが、今までのしんどい期間があまりにも長すぎたため、不安は当然のように残る。薬が効いているのは、最初のうちだけではないか? 薬の効き目で楽になっているわけではないんじゃないか? 考えたらキリがないので、考えないが吉である。

 

 

 効果を発揮する薬があれば、薬の乱用など、しなくてすむ。私は今まで自分を薬づけのジャンキーだと思ってきた。しかし、合う薬に出会い、自ら薬を捨てた。

 

 

 だがこれは、何度も薬に手を出し、後悔を繰り返してきたから、今の状態にたどりつけたのである。ご飯をおいしく食べれたり、文章をかけたり、楽器を練習できたり、そういうことをしっかりと楽しめる。

 

 

 この薬のみでやっていけると判断するのは早いが、自分で購入した薬は、自分の本意でないことをしてしまう。酒で酔って、ハメを外してしまうのと同じである。今の薬では、テンションが上がりすぎたり、下がりすぎたりすることはない。

 

 

 かといって、薬は万能ではない。腹が減る・喉がかわく・睡眠がとれなくなるという副作用を感じていることを自分に覚えておいてほしいが、しんどさが軽減されるのであれば、ささいなことである。

 

 

 薬がまったくなかった時は、刺激を求めて、1日でアメを1袋なめたりしていた。虫歯になるが、止められなかった。薬がありすぎても、なさすぎても困る。自分らしくいられる薬があってよかった。これは2012年から販売された薬らしい。私がちょうど精神科に通い始めた頃に発売された、まだ新しい薬である。

 

 

 薬をコソコソ飲むのは、しんどかった。覚せい剤のように、快楽のために飲んでいると自分でも勘違いしていたが、しんどさがなくなれば、飲みたいという気持ちはわいてこない。

 

 

 今まで、刑務所のような生活だった。嫌でも、この頭のおかしい自分と向き合わねばならない。健康なら、自分の部屋で好き勝手にゴロゴロ過ごしていられていいじゃないかと思うかもしれない。だが、自分の部屋が、牢獄のようだった。さっさと苦しみから解放されるために、首吊りなども考え、もやい結びを練習したが、結び方は忘れてしまった。

 

 ここまでの道のりは、果てしなく遠かった。周りの人間の支援もあったが、やはり、私は薬至上主義なので、「薬最高」という結論にたどりつく。どんな聖人の説法も、薬が効いていないと、ただただしんどいし、「黙れカス」としか思わない。

 

 

 やっと自分らしい生活ができるかもしれない。今まで、人に言いたいことも言えなかったが(口頭で)、今は落ち着いている。言いたいことを表現できる。

 

 

 

●日常の幸せに感謝できる話

 

 

 日常の、ささやかな幸せを感じられることが幸せである。

 

 アジカンのソラニンという曲で、「たとえば今の幸せがだらっと続いたとする、きっと悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ」という歌詞がある。

 

 ソラニンは、原作はマンガなのだが、宮崎あおい主演で映画化もされている。ストーリーはこうである。彼女がおり、バンドをしている若者の男が、「バンドを取るか、生活を取るか」という葛藤をする。男は、センチメンタルになりながら、最後は自殺(事故死)をして死んでしまうというストーリーだった(うろおぼえ)。

 

 私は学生の時にソラニンのマンガを買って読んだが、「さっぱりわからん」ということだけわかった。日常の、ささやかな幸せに感謝しない人間が、幸せになりたいと思うことはおこがましくないか? 私は性格が悪いので、「センチメンタルになったあげく、バイクで事故死(自殺)できて、苦しみから逃げられてよかったな?」という感想がわいた。

 

 バンドマンや、バンドマンを愛する女の愛読書らしいが、ソラニンのような、悲しみをセンチメンタルに語るストーリーが嫌いだ。私がamazarashiというバンドを好きだとこのブログで書いたら、ニコ生の住民に批判されたのだが、同じ理論で、おそらく中二病くさい奴はみんな叩きたくなるのだと思う。

 

 私の場合、完全に同族嫌悪だし、ブーメランしている。悪口を言いたいだけである。中二病くさいので、つい叩きやすい。ソラニンはフィクションだからまだ救われるが、ノンフィクションだとホラーだ。

 

 ソラニンは、思春期の時に読めば共感し、大人になれば叩きたくなる。悲劇のヒロインごっこは、学生のうちに卒業しておかねばならない。メンヘラが太宰治を愛し、一周まわってアンチ太宰治になるのと似ている。

 

 だが、ソラニンの主人公の男のような、平和ボケした人間は、大人になってくれば少ないのではないかと思う。若者特有のセンチメンタリズムだと思う。平和ボケした若者は私の身の回りにいたし、「おまえは何でも持ってるのになんで不幸ヅラしてるんだ?」とイライラすることもあった。だが、思春期をこじらせたんだろうな、と結論をくだしておきたい。

 

 

 ゴチャゴチャ書いてしまったが、ソラニンを批判するより、自己批判をしましょう。現状に悲観的になって、センチメンタルになるのは簡単である。「センチメンタルにひたって気持ち悪い」と、他人にゴチャゴチャ口出しをするのも簡単である。

 

 だが、ひたすらに悩んで、ああでもない、こうでもない、と何億回も繰り返して、やっと受容の境地にたどり着く。ガンの患者は、最初はガンを受け入れられられず現状を嘆くのだが、最後はみんなガンを受け入れて、うまく共存していく方法を探るらしい。さっさと受容して、楽になりましょう自分。

 

 

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