墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

進歩

 昨日、薬を飲むのは、「人としての尊厳を保つため」と書いた。

 

 「人としての尊厳」なんて、抽象的でわかりにくいけど、もっと具体的に書くとこうだ。自分の感情を表現するためである。

 

 皆、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そうやって自分の感情を表現する。赤ちゃんは、言葉で欲求を伝えられないから、泣いて表現する。でも、私は薬がないと、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そういうことさえもできない。感覚で感じてはいるものの、表現ができない。これはとても不幸なことだ。あなたがおしゃべり好きなら、おしゃべりがまったくできなくなる状態を想像してほしい。運動をするのが好きなら、運動がうまくできない状態を想像してほしい。薬の力を借りて、やっとやりたいことが少しできるのである。

 

 今日は、まだ体に薬が残っているので、こうやって冷静に表現できる。また、昨日、親が医者と話をして、また新しい薬を試すことになった。今はその薬を飲んで、落ち着いている。母親の皮肉にも、口答えすることができる。口答えができることも幸せである。何かを言われて、イライラしながら黙るよりもよっぽど健康である。

 

 

 しかし、薬が効かなければ、また薬を自分で購入してコソコソ飲むだろう。「薬を飲みたい」と、表現することさえも面倒である。なので、カードか何か、サインで伝えたい。これは体が動くうちにやっておいた方がよい。しんどくなってからは、何もできないのである。ベッドに縛りつけられて、動けなくなる。しかし、親が仕事に出ているときにしんどくなればどうすればよいのか? それは話し合いをしなければならない。

 

 

 今まで、薬をテンションを上げるために使っていたが、断薬を繰り返してからの薬の使い方は違う。昨日は部屋を掃除してキレイにしたし、観葉植物を買って部屋に置いたし、アメをいつでも食べられるようにまとめた。私にとっては、ものすごくエネルギーを使うことを、薬の力を借りて、1日でやった。しんどい時に、心が安らぐように、環境を整えた。進歩である。自分をほめたい。

 

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