墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

薬酔い

  昨日の記事で、「薬を飲んで手に入れたものはどうでもいいものしかなかった」と書いた。しかし、なぜまた薬を飲んで、一度捨てたものをまた手に入れようとするのかを考えたい。

 

 

 そもそも、「やめる」「やっぱり続ける」を私は繰り返しすぎている。メンヘラの権化である。断薬に始まり、美容整形の電話は、合計5回以上キャンセルの電話を入れたし、ニコ生のコミュニティも5回以上爆破しては作り直したし、「2度と連絡しない」と思っていた友人に、やはり5回以上連絡を取ったし、このブログも2度停止している(そしてこれからもそれを繰り返すと思う)。

 

 

 これは、「実行する」⇒「後悔し、耐えられなくなる」⇒「やめる」の繰り返しである。本当に実現したいことや、欲しいものが、何もない。今までがむしゃらに周りに合わせてきたが、「あなたの自由にしていいよ」と言われた途端、自分のしたいことは何もなかったのだと思い知らされる。日常のささやかな幸せに感謝せず、薬でぶっ飛んでドギツイ幸せを求めようとする。

 

 

 引きこもって、両親以外と関わらない生活を送っていても、なぜこんなにストレスを感じるのかわからない。「早起きして、よく働き、運動し、栄養のあるものを食べ、1日に感謝して眠る」という健康的なことができればよいのだが。しかし、体はだるいし、食事をするのもおっくうだし、運動は続かないし、1日を後悔して眠りにつく。そして朝起きたら、何もかも捨ててリセットしたくなる。どんな生活をしていても、何でもマイナスにこじつけてしまう病気である。意識的に、自分のプラスになるワークを毎日続けたい。

 

 

 メンヘラという言葉は嫌いだが、メンヘラの特徴に、「人間関係をすべてリセットする」というものがあると知った(もちろんあてはまらないメンヘラもいる)。私は「人間関係リセット病」である。

 

 

 だが、薬を飲んでやったことを後悔すると、もうそれをしないでおこう、とどこかで歯止めがかかる。10回同じことを繰り返して後悔したら、11回目には薬でラリっていても、もうそれをしないでおくこともできた。こじつけだが、やはり、薬を飲むことを否定できない。

 

 

 

 しかも、薬を飲まないと、口頭で自己主張することもできない。周りがどれだけつくしてくれようが、反抗することでしか自分を表現できない。だから薬を飲む。

 

 

もしかすると、感情を外に出すために、薬を飲むのかもしれない。健常者が、鬱憤を晴らすのにお酒を飲みながらワイワイ愚痴り合うのと似た心理かもしれない。

 

 

 私は文章で表現するのは得意なので、文章を書いて他人に読ませたが、自分のこの生きづらさは他人に理解されることなど永遠にない。このブログを書き始めてからわかった。

 

 

 薬なしで、文章で主張したところで、読解力のないチンパンジーが相手だと何も通じない。私がこうして長文で自分を表現すると、対抗して長文で感想を送りつけてくる人間がいるが、自分語りか説教かのどちらかである。しかし、考え方の違う他人の意見では救われない。救いは自分で見つけなければならない。孤独だが、その孤独は苦痛ではない。本を読んで精神を豊かにさせる方がよい。同じように悩んでいる人が、どのように工夫しながた生きているか、学ばせてもらう方がよい。

 

 

 

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