墓の中から

クソリプガイジの墓場

なんで自分を殺してまで、こんなもの大切にしていたんだろう

 今までさんざん薬を飲んで、周りに合わせてきた。大学で薬に出会って、薬で人格を変えて、友達を作ったり、彼氏を作ったり、就職面接を受けたり、薬で集中力を高めて勉強をしたりしてた。

 

 だけど、「薬で人格変えてまで、手に入れようとしてきたもの、別にいらねえなあ」っていう結論に至った。

 

 

 まず、「公務員」という職業にこだわりすぎていた。これは親の影響である。公務員も、その特権階級が欲しかっただけで、仕事には何の興味もない。事務作業は苦手である。人間関係が命の公務員では、発達障害ぎみの私はどのみちうまくやっていけなかったと思う。休職することを前提でこの職業を選んだ。

 

 また、友達が欲しくてしかたなかった。薬なしでは人とマトモに話すことができない。表面的な、うわべな付き合いをできる友達もいなかった。薬で人格を変えることで、それはクリアした。しかし、友達に悩みを打ち明けることは今までなかったし、まったく心を開けなかった。私の真の友達は、メンタルヘルスについてボソボソとしゃべるネットの友人だった。

 

 また、恋人を作った。出会い系でも何人かと出会った。しかし、私は「恋人という称号」が欲しかっただけである。公務員試験に合格してから、付き合いだして将来も考えた彼氏もいたが、真剣な話し合いができず、あまりにも器が小さすぎるということが判明し、何度も別れてほしいと告げている。今までダラダラと連絡を取ってしまったが、連絡先を全てブロックし、完全に関係を絶った。

 

 

 私が薬で手に入れてきたものは、「仕事」「友達」「恋人」と、普通の人間にとってはあまりにも普遍的で当たり前のものである。しかし、今では「なんで自分を殺してまで、こんなもの大切にしていたんだろう?」と不思議になる。

 

 

 私がいちばんこわだっていたのは公務員である。面接でのエピソードを語るために、面白くもないボランティアもしまくった。話す力をきたえるために、塾講師のアルバイトを我慢して続けた。1年間も面接対策に通った。

 

 友達の誕生日会に嫌々出席した。自分の誕生日は覚えてさえもらえないし、メールのひとつもよこされることはなかった。大学3回生の頃は、毎日鴨川でひとりで昼食をとっていた。大学の卒業式には出席しなかったし、卒業手前で学部のラインを退会した。

 

 仕事で疲弊しながらも、毎週片道1時間かけて恋人に会いに行った。体力をごっそりけずられながらも、薬を飲んで、相手に合わせた。嫌なことをハッキリ嫌とも言えず、楽しいことだけを共有した。誰よりも多くの時間を一緒に過ごしたが、真剣な話をすることはなかった。何も残らなかった。

 

 

 もちろん、それぞれは私に夢を見せてくれたのだが、「手に入れてみたけどやっぱり違いました~」とポイ捨てできる程度のものしかなかった。それぞれを手放す時は、もちろんしんどかった。

 

 クソ虚しいが、しょうがない。すべて無理をして手に入れたものである。薬を飲んでも、どうでもいいものしか築くことができなかった。

 

 

 「薬を飲むと人を傷つけてしまう」と、過去に記事で書いたが、そもそも、薬がなければ人と縁を結ぶことさえもできなかった。一時的であっても、夢を見せてくれたのだろうが、感謝よりも憎しみの気持ちが強い。

 

 ニコ生のリスナーに、「ありがとうという言葉が軽薄だ、心がこもっていない」などと神から目線のリプライを飛ばされたこともあるが、当然である。私の生きづらさは、おまえら健常者にも一因がある。他人に対して、優しい気持ちになることなどない。憎しみはわいても、慈しみの感情はない。

 

 

 私はこれからも何度も断薬したり薬を飲んだりを繰り返しながら、他人に刃物をフリ回しまくっていくだろう。私は男と寝まくるタイプのメンヘラじゃないし、かまってちゃんメンヘラでもないので、基本的には誰かとあまり連絡を密には取りたくない。

 

 さみしいと思うことはないし、ひとりの時間がとても充実している。こちらが無視していても、向こうからガンガン関わってこようとするタイプの人間はいるが、「ああ、そういう人もいるんだなあ」と思いながら無視をする。「ひとりはさみしい」と思う人もいれば、「ひとりが最高」と思う人間もいる。