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墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

不自由

 月に1度の心療内科受診の日だった。医者は相変わらずである。「薬はできるだけ少なめでやっていこう」としか言わない。それが仕事なのだろうが、「言いたいことを言って金をもらえていいな」と思う。私は、言いたいことは言えないので、こうして文章にぶつけるより他ない。

 

 母親は、医者を妄信しているので「精神病棟に入ったら治るのですか?」などと聞いている。医者至上主義である。キチガイ病院でロボトミー手術でもされれば楽である。

 

 医者は、「普通に仕事をしたいと思わないのか?」「発達障害と診断されるのは嫌だろうね」とのたまう。馬鹿か? 障がい者のレッテルを貼られたほうがよほど楽である。「福祉手帳は受けられますか?」と尋ねたら、受けられるとのこと。というわけで、ガイジ手帳を毟り取る予定である。失業給付も毟らなければいけない。

 

 

 私は自分の食い扶持を稼ぐために、風俗でもしようと思っていたが、父親が「働かなくてよい。なんとかする」と言っている。実際に実行するかどうかではなく、そう言える父親は素晴らしいし、中々いないだろう。しかし、私は今までがむしゃらに、血を吐いてなんとか生き延びてきた。「働かねば」と気持ちは焦っている。風俗で稼げるのは、若いうちだけである。

 

 更に言えば、私はしんどくなればすぐに薬を飲むつもりである。我慢する気など毛頭ない。医者の提案は正しい。医者は、他人なので「最小限の薬で生きろ」と言うのは楽である。しかし、当事者の私は、とてもじゃない。やっていけない。両親だって、自殺されたらたまったものではないだろう。

 

 

 だから、他人の医者の主張を盲信しすぎるとよくない。自分にとって最善は何か、を考えるべきなのである。しんどくても薬を我慢して自殺するより、薬をコソコソ飲んでいる方がよっぽどマシである。

 

 

 薬を預かっている母親は、薬を出さないとごねるのは目に見えている。薬を抜いているときに、「もうちょっと頑張ってみようよ」と母親から言われたが、小学校の運動会じゃねえんだぞ? とブチブチに切れていた(しんどかったので何も言えなかったが)。

 

 貯蓄で自分で薬を購入できなくなれば、いよいよ自殺である。自殺方法で最も多い死に方は、首吊りの非定型(足が地面についている)である。

 

 こうやって自殺自殺自殺と主張しているので、近い将来、自分の抱えるものの重さに耐えきれず死ぬのだろう。

 

 

 まあ、私もダルクに通ったり、障がい者施設に通ったりするんだろうけど、結局どこも自分の肌に合わず自殺するだろう。

 

 「死にたい」と口にする人間は、「死なないでくれ」と言ってほしいのだろうが、私は誰にも「死にたい」とこれから言うつもりはない。物理的に妨害されるからである。どちらにせよ、マトモな生き方はできない。ダメな奴らの寄せ集めみたいな場所でしか息をしていけないだろう。

 

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