墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

「薬最高!」という私にドン引きする健常者へ

●「薬最高!」という私にドン引きする健常者へ

 

 

 今日はスッキリした目覚めだった。体はだるいが、気持ちが沈んでいない。おそらく、薬が体に残っているからだと思う。なので、今は薬を飲んでいない。おそらく、これが健常者の精神状態に近いのだろう。

 

 

 母親へ。

 

 目覚めた瞬間から、頭の中で「自殺しましょう」と言われる気持ちが、わかりますか? わからないのなら、黙っていてください。「薬はやめるべき」などと、安易に口出しをしないでください。私は黙って薬を飲みます。話し合うことなどありません。

 

 私は、薬を飲んで生きる方を選択します。あなたは、私の苦しみを背負うことなどできません。私の病気を肩代わりすることもできません。

 

「薬なしでやっていけるかも」やっていけません。すべてが億劫です。あなたは、「死にたい」と思わない精神障がい者なのですから、わからなくて当然です。あなたの発想は、すべて健常者の発想です。

 

 「薬を飲むまでは普通に生活できていた」できません。学生時代は、毎日「死にたい」と考えていました。薬を飲んでいない時、「死にたい」と他人に話したことはありません。頭がおかしいと思われるからです。「普通のフリをすること」に、命をかけていました。

 

 なぜ、薬があると思いますか? 覚せい剤や大麻も、もともとは病気を治療するために開発されたものです。

 

「体の病気と、心の病気は違う」違いません。「健康でない」という意味では同じです。体の病気と同じように、私は薬なしで生きることは不可能です。「しようと思っても、できない」のです。

 

 無理やり薬を取り上げられて、精神病棟に入れられても、同じです。仮に、「薬はやめる」などと一時は言ったとしても、同じです。最期は自殺です。

 

 

 

 今は薬が残っているから、こうやって文章を書く気になる。しかし、薬がまったくない状態では、ベッドから起き上がるのでさえおっくうである。「私はこう思います」などと、何かを発信する気にもなれない。

 

 うつ病に近い。薬がないと、できないのである。希死念慮でさえ、ぼんやりしている。閉鎖病棟に入院したところで、脳内から自然にセロトニンが放出されますか? されません。医者にいくら「薬はダメ」と頭ごなしに指示されたところで、「そうですね。薬はやめます」と簡単に言えたら楽である。

 

 啓発本や、宗教本を読んで、実践もした。しかし、実践しても続かない。「怠けている」と指摘が飛んできたところで、もうどうでもよくなる。薬を飲んだ方がマシである。自殺した方がマシである。ゴチャゴチャ口出しをされても、「できない」のだからしょうがない。「できない」という障がいなのである。

 

 

 そう考えると、「病気」と線引きされてしまうと楽である。「ADHD」などを発見した方々はすごい。

 

 またこうやって書くと、「元気に生きてる障がい者はたくさんいる」というメッセージが飛んでくるだろう。健常者は、健康が大好きである。

 

 私のことは、「悲劇のヒロインごっこをしている可哀そうなメンヘラ」と思っておいてください。その方が、よっぽどマシです。

 

 

 

 まあ、こうやってゴチャゴチャ書いたところで、自殺である。メンヘラはほとんどみんな自殺している。

 

  「あなたが死んだら悲しい」などと健常者は言うが、おまえを喜ばせるために生きているわけではない。「耐えられないくらい悲しいのならば、あなたも自殺してはどうですか?」と思う。

 

 

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