黙ってればいいのに、やっぱりあれこれ口出ししちゃう人間の心理
●「コップに水が半分入ってるじゃろ?」というクソなたとえ話
さっきの記事の続きで、好きか嫌いか、感情で、瞬間的に判断しちゃう話。
「コップに水が半分入っています。『半分しかない』と思うのか、『まだ半分ある』と思うのか、あなたの考え方で、捉え方は変わります」みたいな、たとえ話がすごく嫌いです。誰かが「たとえば、コップに~」とか言い出したら、「あのクソなたとえ話か」って、瞬間的に耳と心を閉ざしちゃう。
だってこのたとえ話、環境でぜんぜん捉え方が違ってくる。
たとえば、真夏のサバンナでは「半分しかない」って思っちゃうし、すぐに水が手に入る湖の近くとかだったら「まだ半分ある」って思うし。
私も、あなたも、置かれている環境も違うし、持っている才能のカードも違う。
得意なことも違えば、苦手なことも違う。
だから、「私はこうやって成功したから、あなたもそうすべき!」みたいに押し付けちゃうのって、押し売りに近い。ただのうざいおじさん/ババアだよな。
●黙ってればいいのに、やっぱりあれこれ口出ししちゃう人間の心理
私もつい、「私はこうやったから、あなたもこうした方がいいよ」とか言っちゃう。そういう時、「あ、他人に自分の考えを押しつけてるな」って、ちゃんと自覚した状態で言わなきゃ、本当にただのうざいババアになってしまう。
「この人は、果たして納得してくれてるんだろうか」って想像力を持った方が、コミュニケーションはうまくいくんだろうけど。
私は理論人間なので、頭では納得してても、行動にうつせないことだらけ。
頭でっかちな、うんこ人間なので、薬を飲んで行動しまくったけど、ことごとく失敗に終わった。
「薬はやめた方がいいよ!」とか、他人からさんざん言われたんだけど、「じゃあ、薬なしでどうやって働くんだ? おまえが金をくれるのか?」とも思ってた。
自分の責任が取れないようなことを、つい他人に押しつけちゃうのをやめたい。
何にも言わずに、黙ってて受け入れてくれそうな、引っかかりがない、くさみのない俳優・アイドルが売れるのって、こういう所からきているのかもしれない。
●声に出したく呼びたくなる名前
私はよくブログで「これが嫌い」「あれが嫌い」って主張しまくってるけど、こうやって文章で自分語りをしてるくらいだから、日本語が好き。更に言えば、日本の名前が好き。
昨日の記事で、amazarashiが好きな話を書いたけど、「秋田ひろむ」っていう言葉の語感が好き。あと、元andymoriの「小山田壮平(おやまだ・そうへい)」もつい声に出したくなる。
「おやまだ」に、すごく引っかかっる。さっき書いた記事の、「『猫がやだやだやだやだ やだよーう』っていう言葉、何だ??!」って引っかかったのと同じ。
「そうへい君」とかじゃなくて、つい「おやまださんは~」って話したくなる。
他には、元number girlのドラマー、「アヒト・イナザワ」もすごく好き。「イナザワアヒト」じゃなくて、「アヒト・イナザワ」。「どうして、苗字と名前が逆なんだ? どうして真ん中に『・』が入ってるんだ?」とか、つっこみたくなる。「ブルゾンちえみ」と同じ語感だと思う。
こういう、「声に出して読みたくなる名前」を考えた時点で、ブルゾンちえみなんかは圧勝してるよなと思う。あと、顔のメイクも、「なんだおまえは??!」って、ちゃんと引っかかって、ツッコミを入れたくなるのもすごい。
なんJ語で、語尾に「ンゴ」ってつけちゃうのも、語感が良いからだろうな。真夏の夢の淫夢があそこまでバズったのって、きっと「声に出したくなるような言葉」がいっぱい出てきたのも、一因にあるかもしれない。
そういうわけで、日本語の持つ無限に可能性を秘めてるかんじが好きです。
(余談なんだけど、このブログを、「墓」っていう名前でやってるんだけど、ツイッターで「墓さんは~」って呼ばれると、「墓さん(笑)」ってつい笑ってしまいます)