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墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

迷惑をかけていない他人が文句を言ってくる話

 

●両親に圧倒的に感謝しました、というお話し。

 

 私は、このブログの記事を印刷して両親に見せている。

 

 「親が、私のために働くって言って絶望した」「風俗で働くしかないかと思った」とかいう、親不孝全開な記事も全部見せている。何かを隠したところで、しんどいし、全部ばれちゃうから、最初から全部見せたほうがいいと思っている。

 

ありがたいのは、両親が、私を理解しよう、という姿勢でいてくれるところ。

 

 

 私の「死にたい」っていう気持ちを、父親は言葉ではわかるみたい。父親は、宗教者だし、頭でものを考えるのは好きだから。ただ、宗教者じゃない母親は、よくわからないらしい。よくいる人の、正しい感覚だと思う。

 

 ただ、両親からは「薬飲んででも働け」とか「死にたいなら死ね」って言われたことは一度もない。その、当たり前のことに感謝している(私はそういう当たり前のことができない)。人として、普通の思いやりの感情がある人たちなんだな、ということに、すごくありがたみを感じる。

 

 

●「死にたい」とか言ったところで、おなかがすく話

 

 私は今日1日、死んだ目でブログを書いてたんだけど、それでもお腹がすく。頭でいくら「しんどい」って思っても、体が「生きましょう」って言ってくる。

 

 母親は、食事をめちゃくちゃ大切にしてる。食事で体はできているからだ。

 

 極論、「運動をして規則正しい生活をしましょうね」っていう話にすべてが帰結する。

 

 「考えないでおこう」って思っても、頭でゴチャゴチャ考えてしまうのは、実はとても不幸なことだ。「考えを発信できる人間」は、全然えらくない。

 

 それよりも、行動でいたわってくれる人間の方が徳が高い。ゴチャゴチャ文句を言わずに、ただ行動できる人間でありたい。

 

 私のブログの文章に噛みついてくる人間がいるんだけど、私が実際に迷惑をかけてる両親でさえあんまり小言を言ってこないのに、他人のおまえがなぜそこまで偉そうに説教をできちゃうんだ? と不思議になる。

 

 文句を言いたいなら、1分ごとに1万円を払ってくれませんか? と言いたいです。みんな文句を言いたいと思いながら生きてるわけです。他人と、話し合う気はありません。

 

 

●自分語り大好きマン=自分大好きマン

 

 

 そろそろ、自分でもやかましいと思うんだけど、再度言わせてください。

 

 「私、こういう体験をしました」って誰かにいうと、リアルでも、ネットでも、必ず、「私は~」「俺は~」って自分語りを始められる。自分語りしてる人も、ほぼ無意識でそういうことをしてる(私もそうです)。

 

 

 「私、薬物中毒で……」って打ち明けたら、「実は私も友達関係がうまくいってなくて……」みたいな、よくわからない話のすり替えが発生する。

 

 「ああ、あなたもしんどいんですね」とは思うんだけど、「おまえの身の上話はどうでもいい」と反射的に思っちゃう

 

 もちろん、共感できる話もあるんだけど、基本的にはどうでもいい話しかない。「ふーん」で終わっちゃう。

 

「自分を認めてくれ」とか言いながら、他人の痛みには、死ぬほど鈍感になれる、矛盾した自己愛だらけの生物が人間だし、私だと思う。

 

 

 だから、身の上話が始まった時は、「ああ、あなたも、誰かに認めてほしいんですね」って思いながら、私はただうなずきマシーンになる。そして、一分後には忘れている。

 

 

みんな、自分がしんどいのを、誰かに聞いてほしくてしょうがない。

 

 何かを主張したいなら、ブログを始めるなり、絵を描くなり、楽器で演奏したりしてみてはいかがですか? と思う(赤の他人の、自分語りに興味がないのであって、家族、友人、仲良くしている人の身の上話には耳を傾けたい、と断っておく)。

 

 

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