墓の中から

話し合うことはない。とりあえず読んでくれ。

しんどい中で考え続けた中で答えが出る

  • しんどい中で考え続けた中で答えが出る(笑)

 

 「しんどい中で考え続けた中で答えが出る」みたいな、寒い言葉は死んでほしい。「保育園落ちた日本死ね」レベルで、語彙力を失って「死ね」と思ってしまう。どうしてこんな薄ら寒い言葉をシラフで発言できてしまうのか。どこかで聞いたような、使い古された言葉には、まったく救われないし共感もできない。だけど、大多数の人は、そういうわかりやすい励ましの言葉に「救われた」とか言ってしまうし、私もこういう言葉を無意識に誰かに言ってる。「頑張れ」って他人に無意識で言っちゃうレベルで言ってる。

 

 「プラス思考」「マイナス思考」っていう、白か黒かの二元論って、殺したいくらいに嫌いだけど、今は、「後ろ向きに死ぬ」っていうどん底状態から、「後ろ向きに生きる」っていうレベルまで、エネルギーが回復してる。別に、何かいいことがあったとか、そういうことじゃなくて、「ただ、そう考えるようになった」っていうだけ。

 

 今まで、前向きな発言をすることはあっても、それは「こういうことを言ったほうがいいんだろうな」って、人から求められてることをなんとなく言っただけで、全部本心じゃなかった。

 

 私は、こんなどうしようもない自分を変えたくて、啓発本を100冊以上読んだけど、どの本にも書いてあることは同じだった。何を実践しても同じで、変わることはできなかった。それで、「どうあがいても自分は変われない」って諦めてしまったけど、しんどくて体を動かせないときに、底なし沼でぼんやり考えてたことに気づきがあった。

 

  • えた・非人

 

 歴史はまったく得意じゃないけど、江戸時代の身分制度の話をしたい。

 

 江戸時代、「士農工商、えた・非人」っていう身分制度があって、確か、上から順に偉い人で、「えた・非人」は、最下層の人。で、「えた」と「非人」っていうのは、お互いに最下層なんだけど(非人は、文字どおり、「人ではない人」)、お互いを見下して生きてた、って学校の授業で習った。最下層同士で憎み合ってくれていたら、上の階層の人に反撃しようとか、そういう気は起きなくなる。だから、最下層の階級をふたつ作ったんだって。そういうことを、上層部の頭のいい馬鹿な人たちが考え出したらしい。

 

 で、この「最下層同士でいがみあう」心理状態に、私はおちいってた。私は大学で福祉を勉強してて、高齢者とか、障がい者とか、生活保護とか、非行少年とか、シングルマザーとか、そういう界隈には人よりはくわしい気でいたし、そういう人には優しくするのが「正しい姿」だって思ってた。

 

 授業の一貫で、精神に障害を持っている人の話を直接聞くことがあった。当事者から話を聞くっていうのは、すごみがある。私は、ワークシートに、「障害を持っていても、それを受け入れられる社会づくりが必要だ」みたいな、綺麗ごとを書きながら、「ああ私はこうならなくてよかった」って、強く思った。

 

 自分より下を見て安心するって、本当に最低だけど、「私は偏見を持って生きている」って自覚して、それが人間の本来の姿なんだ、って受け入れてしまえば、とても楽。障害みたいな極端な例を出してしまったけど、「この子は私よりモテるけどブスだ」みたいな、口には出さなくても、人を下に見下して、私たちは何とか精神のバランスを保ってる。

 

 私がいちばんよくしてた見下し行為(マウンティング)は、「この子はおとなしい、私の方が社交的」っていうやつ。中学、高校の同級生で、私と同じように口数が少なくて、人の話に媚びるように笑う子がいた。友達だけどその子のことがすごく嫌いだった。同族嫌悪だったんだと思う。その子よりも、発言回数を増やして、面白いことを言うことで、勝手に勝った気になってた。

 

 大学に入っても、社会に出て働くようになってからも、それは変わらなかった。私は、自分よりも発言回数が少ない人を探し続けて、勝手に勝った気になって、薬を飲みまくって、自滅した。

 

 こうやって文章にして、自覚することで、そういう癖は少しずつマシにはなるんだろうけど、誰かと話してる時も、発言回数をつい気にしてしまう。本当は、誰とも話したくないし、話しかけてくるなら、相手にはラジオのようにずっと喋っておいてほしいけど、そんな一方通行のコミュニケーションはお互いにしんどいし。

 

  • 会話するだけがコミュニケーションではない

 

 私は「誰かと話すことが苦手。口で話すことが嫌」っていうことを何度もこのブログでも書いた気がするけど、会話をすることが、コミュニケーションのすべてではないって父親が話してくれた。

 

 本を読んだり、テレビを見たり、新聞を読んだり、そういうこともコミュニケーションのひとつだって。一方通行ではあるけど、今の私には、たとえ一方通行でも、自分の思ってることを発信した方がいいなって感じてる。

 

 もちろん、文章を読んで共感されればうれしいけど、私が文章を書いて戦うことで、今生きて苦しんでる人とか、これから生まれて苦しむ人の痛みが、少しでも癒されるんじゃないかと思ってる。ただ文章が書くのが好きなだけだから、そういう意味づけは後から生まれたものでしかないけど。

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