●道端のウンコを踏んでキレる人間の話
●道端のウンコを踏んでキレる人間
道端のウンコ=クソリプ(クソみたいなコメントを相手に送ること)です。
私は、ブログを始めてから、自分がすごく偏った見方をしてるくせに、他人の意見を聞きたくない潔癖症な人間だな、と気づいた。道端のウンコを踏んだら、キレまくる人間だと思う。
なので、考えの違う人間はブログを読まないでくださいね、と思っている(そもそも公開しなきゃいいんだけど)。
でも、逆にそういうウンコを「あ、ウンコがいるなあ」くらいにしか思っていなかったり、更には、「このウンコ、肥料にして、金になるのでは?」と気づいた頭のいい人間がいることに驚いた。
●「ウンコは肥料として金になる!」と気づいた人間
以下、ツイッターでさんざん「中身はおっさんだ」と言われている「暇な女子大生さん」のツイート。
妹尾ユウカさんからの批判に暇な女子大生なので反論。SNSはそもそも誰も聞いてないことを一方的に語るツール。またエリートと何回優勝しても私自身はただの「慶應に通うちんぽ好き女子大生」であると自覚してるしこの身分に不満はない。むしろ自分より圧倒的エリートとの身分差に膣キュンしている。 pic.twitter.com/6eLzQApbSm
— 暇な女子大生 (@bored_jd) 2017年2月23日
このツイートの持つ下ネタのパワーワードは、他のブログとかまとめでさんざん語りつくされているので、ここでは触れないでおく(おそらく初見の方は、「何だこれは??!」と引っかかるのではないかと思う。私は引っかかりまくってフォローした)。
「暇な女子大生」のアカウントは、「慶応大学に通う女子大生が、出会い系アプリをを通して、毎日高学歴の男性と寝ている」ことをツイートしている。読み物としては、すごく面白いし、「声に出して読みたい日本語」を量産していると思う。
このスクショでは、「妹尾ユウカ」が、「暇な女子大生」をディスってるんだけど、「暇な女子大生」は、「もっとやってください!」と言わんばかりにツイートをしている(「妹尾ユウカ」がウンコとは思わないけど)。
個人的には、出会い系アプリの回し者説を推したい。
「ディスってくれてありがとう! 広告費をかけずにすみます!」ってツイートしてるように思っちゃう。
「ああ、暇な女子大生さんは、めちゃくちゃ頭がいいし、冷静だな」
「それか、これは企業のステマだな」って思った(真実がどうかは知らない)。
AKBの炎上商法みたいに、「ゴチャゴチャいちゃもんをつけてくるウンコも、金になるな」って気づいてるんだと思う。
●そもそもウンコをスルーする人間
私はウンコにキレるし、「暇な女子大生」はウンコを利用してる。どっちもウンコに反応してるんだけど、そもそも、ウンコをスルーする人間もいる。
そういう生き方が、いちばんストレスフリーだなあ、と思う。
主観的に私が思ったことなんだけど、ニートのphaさん(はてなブログでアクセスを集めまくっている人)が、そうういう人だと思う。
pha(ファ)さんって読むんだけど、テレビとかで、「ファさん」ってなんだよ! ってコメンテーターに叩かれてた。それでも、「そうですねー」ってどこふく風。
はてなブログを始める前、phaさんのブログをよく読んでた。
「みんな頑張って働いて、消費してるけど、そういう所から一歩ひいて生活しましょう」みたいな、肩の力が抜けた生き方を提示してくれてる。
phaさんは京都大学を卒業してるから、「ああ、頭のいい人の生き方だなあ」と思う(私にはとうてい真似できない)。
phaさんのブログは、コメントは誰でもできるようになっている。
「ニートで生きてて楽しいですか?」みたいに煽られても、まったく反応してない。
淡々と、ただ、ブログを更新し続けている。
「道端のウンコにまったく動じていない人間がいるぞ!」と、「暇な女子大学」とは違った意味で、驚いた。
●「物がなくなった! イライラする!」
phaさんのつぶやきで興味深いものがあった。
「物がなくなった。カルマを背負って消えていったんだろうな」
よく考えないと、意味がわからない。ふつう、物がなくなったら「どこにいったんだ?!」ってイライラすると思う。
「カルマ」は、人が背負ってる、どうしようもない悪いもの、みたいな意味だった気がするんだけど、
「自分の悪い所を背負って、物が消えていったんだなあ、ありがとう」って言ってるみたいで、「どうやったらこんな肩の力が抜けた生き方ができるんだ?!」って驚きまくり。
きっと、座禅とか、瞑想とかが、そういうのに近い世界なんだろうな。私はまだそういう世界にどっぷりつかる気はないけど。まだまだ、道端のウンコにキレまくるんだと思う。
黙ってればいいのに、やっぱりあれこれ口出ししちゃう人間の心理
●「コップに水が半分入ってるじゃろ?」というクソなたとえ話
さっきの記事の続きで、好きか嫌いか、感情で、瞬間的に判断しちゃう話。
「コップに水が半分入っています。『半分しかない』と思うのか、『まだ半分ある』と思うのか、あなたの考え方で、捉え方は変わります」みたいな、たとえ話がすごく嫌いです。誰かが「たとえば、コップに~」とか言い出したら、「あのクソなたとえ話か」って、瞬間的に耳と心を閉ざしちゃう。
だってこのたとえ話、環境でぜんぜん捉え方が違ってくる。
たとえば、真夏のサバンナでは「半分しかない」って思っちゃうし、すぐに水が手に入る湖の近くとかだったら「まだ半分ある」って思うし。
私も、あなたも、置かれている環境も違うし、持っている才能のカードも違う。
得意なことも違えば、苦手なことも違う。
だから、「私はこうやって成功したから、あなたもそうすべき!」みたいに押し付けちゃうのって、押し売りに近い。ただのうざいおじさん/ババアだよな。
●黙ってればいいのに、やっぱりあれこれ口出ししちゃう人間の心理
私もつい、「私はこうやったから、あなたもこうした方がいいよ」とか言っちゃう。そういう時、「あ、他人に自分の考えを押しつけてるな」って、ちゃんと自覚した状態で言わなきゃ、本当にただのうざいババアになってしまう。
「この人は、果たして納得してくれてるんだろうか」って想像力を持った方が、コミュニケーションはうまくいくんだろうけど。
私は理論人間なので、頭では納得してても、行動にうつせないことだらけ。
頭でっかちな、うんこ人間なので、薬を飲んで行動しまくったけど、ことごとく失敗に終わった。
「薬はやめた方がいいよ!」とか、他人からさんざん言われたんだけど、「じゃあ、薬なしでどうやって働くんだ? おまえが金をくれるのか?」とも思ってた。
自分の責任が取れないようなことを、つい他人に押しつけちゃうのをやめたい。
何にも言わずに、黙ってて受け入れてくれそうな、引っかかりがない、くさみのない俳優・アイドルが売れるのって、こういう所からきているのかもしれない。
●声に出したく呼びたくなる名前
私はよくブログで「これが嫌い」「あれが嫌い」って主張しまくってるけど、こうやって文章で自分語りをしてるくらいだから、日本語が好き。更に言えば、日本の名前が好き。
昨日の記事で、amazarashiが好きな話を書いたけど、「秋田ひろむ」っていう言葉の語感が好き。あと、元andymoriの「小山田壮平(おやまだ・そうへい)」もつい声に出したくなる。
「おやまだ」に、すごく引っかかっる。さっき書いた記事の、「『猫がやだやだやだやだ やだよーう』っていう言葉、何だ??!」って引っかかったのと同じ。
「そうへい君」とかじゃなくて、つい「おやまださんは~」って話したくなる。
他には、元number girlのドラマー、「アヒト・イナザワ」もすごく好き。「イナザワアヒト」じゃなくて、「アヒト・イナザワ」。「どうして、苗字と名前が逆なんだ? どうして真ん中に『・』が入ってるんだ?」とか、つっこみたくなる。「ブルゾンちえみ」と同じ語感だと思う。
こういう、「声に出して読みたくなる名前」を考えた時点で、ブルゾンちえみなんかは圧勝してるよなと思う。あと、顔のメイクも、「なんだおまえは??!」って、ちゃんと引っかかって、ツッコミを入れたくなるのもすごい。
なんJ語で、語尾に「ンゴ」ってつけちゃうのも、語感が良いからだろうな。真夏の夢の淫夢があそこまでバズったのって、きっと「声に出したくなるような言葉」がいっぱい出てきたのも、一因にあるかもしれない。
そういうわけで、日本語の持つ無限に可能性を秘めてるかんじが好きです。
(余談なんだけど、このブログを、「墓」っていう名前でやってるんだけど、ツイッターで「墓さんは~」って呼ばれると、「墓さん(笑)」ってつい笑ってしまいます)
薬物中毒になり、自宅のベランダから飛び降りた人間の末路
●「生きる理由」なんてありません。「死に方」を検索する人生です。
薬が、体から抜けきる過程は地獄でした。体の全細胞が、薬を求めていました。私の体は、薬でできていました。
直属の上司には、職場に行かなくなる1か月前から、「薬を乱用しながら働いている」ことを伝えていた。「1日に60錠くらい飲んでいる」と言ったら、ドン引きされたけど、それが私の普通だった。
上司も、さすがに「こんな危険な奴に、オレの統制する部署にいられたらまずい」と思ったのか、「正月休みをはさんで、1週間くらいで薬抜きをしろ」と言ってきた。
でも、私は1週間ぽっちではどうにかできないことは分かっていた。薬物乱用を始めてから2年が経過していた。
私は、現在個人輸入が禁止になった、デパス(薬)のジェネリック薬品を、ひと月400錠服用していた。加えて、用量を守らずコンスタンやセパゾンなども服用していた。極め付けに、麻薬の成分が含有されている咳止めブロンである。月に薬関係の出費は4万を超えていた。
もはや、金を稼ぐために働いてるのか、薬のために働いているのか、わからなくなっていた。
●「お薬で人格を変えて、人生ハッピーに生きていきましょう!」と言うキチガイ精神科医
先ほど挙げた、「デパス、コンスタン、セパゾン」は、「ベンゾジアゼピン系」という、身体的依存が激しい薬である。もはや、合法の覚せい剤である。
「ベンゾジアゼピン系」の薬物は、依存性が強く、用法用量を守って服用していても(私の場合は用量を守っていなかったが)、依存になってしまうのである。
最初に行った精神科では、コンスタンを処方された。医者が言うには、「精神依存はあるけど、身体依存はないよ」とのことだった(ウソです)。コンスタンは、ベンゾジアゼピン系の、身体依存の激しい薬である。
この精神科医には、「人前で緊張してうまくしゃべれない」ことを伝えたが、「お薬で人格を変えて、人生ハッピーに生きていきましょう!」とキチガイみたいなことを言われた。しかし、私も薬で色んなことがうまくいったことは事実だったので、キチガイ信者になっていった。悪い意味で、相性が良かったんだと思う。
その後、薬でラリった状態で、精神科の診察を受けた時、「ヤブ医者」呼ばわりして、その精神科は出禁になった。まったく私の自業自得なんだけど、精神科医って、こんなのが大半だと思う(別の精神科にも行ったけど、たいした診断もされず、薬を処方されて終わった)。
薬づけにして、患者から、思考を奪っちゃうのが、日本のありがちな精神科医。それでメシを食ってるんだから、しょうがないかもしれないけど。医者に「死にたい」とか言ったところで、「じゃあお薬増やしましょうね」としか言われません(すべての医者がそうではありませんが)。
●文字どおり、死んだ方がマシなほどの身体的苦痛
薬抜きの過程は、あんまり思い出したくない。高熱を出して、うなされている状態が、3か月くらい続くことを想像してほしい。高熱なんて、1日だけでも心身共にまいってしまう。まして、私は心が弱い人間なので、1日でも耐えられなかった。
まず、1日にありえない量の薬を飲んでいたので、内臓がいかれていた。マトモにご飯も食べられなかった。ベッドに横たわっていても、目まいが起こり、上下の感覚がわからなくなった。
何度「死のう」と思ったかわからない。自殺する時は、飛び降り派なので、自宅がマンションの上階だったら、確実に飛び降りて死んでいたと思う。
薬を、ネットで購入する気力さえなかった。ベッドに横たわって、うめいていた。スマホをさわることすらできなかった。嵐が過ぎるのを待つみたいに、薬が体から抜けていくのを、待つしかなかった。
●それでも、断薬して4日くらいしか経過してない件について^^;
私は、もう身体的依存の強い「ベンゾジアゼピン系」は絶対にやらないと決めたんだけど、それでも、「ベンゾジアゼピン系以外の薬なら、いつでもやめられるんじゃないか」と考えていた。今でもそう思う。一生、薬の誘惑と戦い続ける人生なんだと思う。
体の依存は抜けたけど、心の依存は一生抜けない。
あと、ブログを書き始めて、まだ1週間しか経っていないことに絶望した。体感では、2週間くらい断薬している気がする。文章を書くことで、1日をどうにかやり過ごしてる。
でも、ブログを書き始めてからも、咳止めブロンをオーバードーズ(過剰摂取)して、記憶をなくしたりしてる。
薬がないと、時間が過ぎるのがめちゃくちゃ遅い。文章を書いたり、ギターを練習したりして、今は何とか正気を保っています。
そこにふたつ卵があるじゃろ?
おまえの好きに育ててみるといい。
●読みづらくい上に雑ですみません。読んでくれてありがとうございます。
●「赤ちゃんポスト」の病院の院長の講演会を聞きに行って、昔書いた漫画です。
●エセ関西弁が多いですが、私のただの好みです(24年関西に住んでます)。
●読まなくてもいい漫画の解説
●ふたりは、中3です。「××くん」は、アルファベットが書けません。教師に知識があれば、もしかしたら少しは「××くん」の環境は変わっていたのかもしれません。アルファベットも書けないのに、学年でトップクラスの「〇〇くん」と机を並べて勉強するなんて、屈辱だと思います。親に虐待をされると、健康な子どもでも脳が委縮して発達障害のような構造になってしまう、ってニュースになってた記憶があります。
●「〇〇くん」は、愛されて育った子どもです。〇〇くんは、突然泣き出した××くんに優しい言葉をかけてますが、愛されて育った人間は、あんまり苦労とかしてないだろうから、人の痛みには鈍感なことが多いです。悪意なく人を傷つける人も中にはいます。なので、〇〇くんは現実には存在しないフィクション人間です。漫画の中でくらい、こういう人がいてもいいかなと思います。
●「××くん」は、継父(ままちち)に虐待されているので、教師や、他に気づいた大人が児童相談所に通報するべきです。おせっかいなクラスメイトが、気にかけてもいい。「××くん」は、自力で暴力から逃げられる精神状態ではありません。暴力を受け続けると、反抗する気を失くしてしまいます。
●虐待は、暴力だけでなく、「心理的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」があります。いちばん多いのはネグレクトです。
●もし、児童相談所が介入しても、「××くん」の家庭で虐待が何度も続くならば、「××くん」は児童養護施設に入所することになります。
●児童養護施設は、18才までしかいることができないので、高校卒業と同時に、何もない状態で世間に放り出されます(支援するNPO団体もあるし、20才までいられる所もある)。